「街とその不確かな壁」
もう、何か月か前のことだから、そろそろひっそりと書き留めておくけれど、マクドが原因で、腹が下ってしまうということがあった。
もともと胃腸は弱くないし、酒もたばこもやらないしで、いたって健康で、多少の食い物ではおかしくはならない、そういう体質だと思っていた。
だから、マクドの業績が急降下を続けていて、世間の足が遠のいていると聞いて、逆に、それなら空いていることだろうし、世間がいうほどマクドの食事はひどくないと思うし、なにしろ安いしで、ほぼひと月ほど、昼は毎日、チーズバーガー2個、みたいな食事を続けてみたのだった。今年の5月の連休前あたりだ。
そうしたら、突然、腹がくだりはじめて、とまらなくなった。
はじめは、よもやマックだとは思わなかった。これが始まる直前に、夜、お呼ばれで六本木あたりの鳥料理屋で、あんまり旨くないのに値段と店員の態度だけはでかい店に行って、それにあたったのかと思っていた。
しかし、2週間ほど経っても一向に収まらないので、もしやと思って、マクドをやめてみた。
そうすると、徐々に収まって、いまでは元通りだ。それ以降、マックは月に1回くらいしか行っていない。
若い時は、マクドで食べておかしくなるということはなかったし、考えてみると、ひと月間毎日なんてことは、若い時でもやらなかった、だから、マクドが業績の下降に合わせて食材の質を調整しているとは思うまい。
確かにいえることは、もうジャンクフード程度でも影響を受けてしまうような歳になったらしいということか。
そういえば、親も年を取ってからは、外の食事はしょっぱくて食えないと言っていた。
なんだか少し寂しい。
ま、その代わり、自炊の美味さを堪能しているわけだけど。
▼
「「困難な成熟」予告編」
責任というのは、誰にも取ることのできないものです。にもかかわらず、責任というのは、人に押しつけられるものではありません。自分で引き受けるものです。というのは、「責任を引き受けます」と宣言する人間が多ければ多いほど、「誰かが責任を引き受けなければならないようなこと」の出現確率は逓減してゆくからです。確かに、自分のこととして感じる人が多ければ、まずいことになる事態は未然に回避される、というのはそのとおりだわ。
▼
「日経のフィナンシャル・タイムズ買収はピケティの『21世紀の資本』の文脈から言えば正しい!」
そこではロシアの大富豪も、アメリカから赴任してきたヘッジファンドマネージャーも、欧州の発行企業も皆、共通の言語を話ます。その言語とは、つまり「マネー」です。フィナンシャル・タイムズはフィナンシャル(金融の)・タイムズであって、ビジネス(実業の)・タイムズではありません。そこんとこをはき違えると、相手から失笑を買うでしょうね。
紫陽花の季節は、高齢者の集団でごったがえすのだが、そろそろ落ち着いたころだろう。ということで、鎌倉へ散歩しにいってきた。
北鎌倉で降りるのがいつものパターン。お手軽デザインの鎌倉駅にくらべて、こちらはあまりに小さい故に、変に気を回さずに自然体で出来上がっている。円覚寺の境内で、風情がいい。
んで、さっそく見慣れない立て看板が。こういうところ、鎌倉は難しいよねー。保存か日常利便性か。
鎌倉駅までてくてく歩いて、駅前のBECKERSで時間をつぶす。9時を待って、観光案内所でいろいろ教えてもらう。
紫陽花は、華のシーズンが過ぎると、自然に枯れるのを待たずに剪定するそうな。馴染みの明月院はもう剪定終わったそうなので、まだの瑞泉寺へ。
若宮大路を軸にその東側の奥まったところににある。この界隈は、落ち着いた住宅地。乱開発やミニ開発の波もあまり被らずにきたようで、ほどよい大きさの敷地でまとまっている。その宅地の路地を抜けていった先に寺はある。
この瑞泉寺は、庭がおもしろいらしい。夢窓国師という昔の人が、庭を作るのがうまかったとかで、寺の裏側にある遺構が発掘され、現在に至っているようだ。18曲がりと呼ばれる坂道を登っていくと、一覧亭というところに至ると案内板にはある。一般人は立ち入りできないようだ。
暫くぶらついた後、八幡宮の方へ戻ってくる。来る途中、洒落た真っ直ぐな小路が気になっていたので、それを辿ってみる。終点にあるのが、荏柄天神社というらしい。
日本三天神のひとつで、菅原道真公を祀っているそうな。
「福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三天神社と称される古来の名社です。」えーそんな凄い神社なのか。全然知らなかった。本殿は国の重文だ。
境内に、かっぱ筆塚というものがある。かっぱの絵をよく描いた漫画家さんによる絵筆塚だそうだ。面白いものをつくるのね。
近くにあった住宅の一階を改装した手打ち蕎麦屋でお昼。結構な値段だが、それなりでまあまあ美味しかった。これくらいなら、人を連れてきても大丈夫。
若宮大路に戻ってくる。八幡宮は七夕モード。段葛はリニューアル工事中。
せっかくなので、Ingressのスキャナーを起動して、大路の東側一帯で田植えして、大路沿いのミッションをいくつかやった。なーんかAXAを1個2個入れているポータルがいくつかあって、300発ほど使ってしまった。自宅ポータルなんだろか。源頼朝公はどうみたって Enlightened なのに、このあたり一帯が青いのはけしからん。今後もときどき緑化しに来よう。
ともあれ、鎌倉散歩。今回も楽しかった。若宮大路両側の残念な街並みは、もう仕方がないと思うけど、少し路地を入っていけば、鎌倉らしい佇まいがあちこちにあって、何度行っても飽きない。歩けばそのときの体調もわかる。今回は・・昼を挟んで5時間くらい休み休み歩いただけなのに、右太腿の付け根が痛くなって難儀した。これはいかんなー。寄る年波がフトモモまできましたよ。少しまた運動せねば。
ミレニアル記事3本
例えばイベント企画や住宅の改装といった最高品質が要求されるサービスは、シンプルでも、品質を客観的に判断できるものでもない。また、長期間に渡ってそのプロジェクトに関わることが要求される。マーケットネットワークはそのようなサービスのために設計された。これすんごい重要。* * *
イベントプランナーは、HoneyBook.comでプロフィールを作成する。プロにとってこのプロフィールは、ウェブ上の窓口となる。HoneyBookのSaaSワークフローから自分のブランド名の元、クライアントに見積もり提案を送付し、契約もデジタルで交わされる。
他に一緒に働く職業人、例えば花屋や写真家といったプロをそのプロジェクトにつなぐことができる。彼らもHoneyBookのプロフィールを持ち、クライアントにサービスを提供するためにチームを組む。互いに見積もり提案を出し、契約書を交わし、支払いを受け取る。
で、そういうことを思いついたり最初に実行するのは、やっぱりアメリカなんだよね。
▼
「ミレニアル世代という想像の産物」
企業組織の階段を上るというアイディアをとても異質に感じるのは、これまでの人生の中で名高い企業が幾つも消えていったこと、そして仕事があまりに分担され、実際に誰かのためになっているように感じられないからだろう。ミレニアル世代というのは、言い換えると、デジタルネイティブみたいなものかな。・・・今では、ミレニアル世代に限らず誰もが、他人を気にせず自分の道を歩むという別の選択肢を手に入れた。世界は停滞している状態からクラウドやモバイル端末に支えられたテクノロジーを基軸とする柔軟なものに変わった。
・・・数百の巨大企業が中心となるのではなく、何百万の小さな企業が世界を回すということを受け入れなければならない。「ミレニアル世代」がもたらす最大の難しさは、彼らは世界を分散したものと捉えていることに起因する。多くのビジネスは未だに中央集権化することに焦点を当てている。つまり、何万のブランドがそれぞれのコンシューマーに順応するのではなく、唯一無二のブランドが存在するべきと考えているのだ。
・・・テクノロジーは、これまでにない選択肢と世界に意識を向けることを可能にした。豊富な選択肢の中を航海する術は、それを自然と理解するミレニアル世代と紐付けられがちだが、他の世代も順応してきている。新しい世界は今の世界とは違うだろうが、平等と保証を持って良くなるだろう。テクノロジーがそれを達成する助けになるのなら、誰もがミレニアルの考え方を持つべきだろう。
▼
「Web制作会社がクライアントを獲得するための、もっとも重要なポイント」
Webって自動販売機じゃない。お店と同じなんです。毎日こつこつといろいろな施策をやったり、サービスや商品を変えてみたり、スタッフの対応を工夫してみたり、チラシを撒いたり、呼び込みをしたりでやっと収益が上がってくる。たまには改装したり、メニューを変えたりしてみる。こうしたコストや手間をかけないと繁盛店なんてできないことくらいわからんか。* * *
中にはレベルも低いし、やってる人たちもたいしたことないのに異様にコストが高いところもあります。その多くは「アウトバウンドの電話」で営業するような、「営業会社」です。こうしたところの営業マンの給与制は歩合制のところが多く、電話を掛けまくって営業しまくります。営業会社の場合「手離れが良くて早く請求できる」というのが基本ですし、制作コストには営業コストが大きく乗っかってきます。内容の割に費用がめちゃくちゃ高い事例をたくさん見ました。だよねー。
▼
「成功する経営者は「みんなから見放される経験を何回もしてる人」 大前研一氏が語った共通点」
エストニアは、税理士と会計士がいなくなりました。全部自動的にイーバンクの中でやってしまって、年末にTax Collectionってのが自動的に来ますんで。自動的に引き落とされて終わりと。したがって、税理士も会計士もいなくなった世界唯一の国です。やっぱり・・・実際にそういう国があるんだ。
うっちーはネット上ではいろいろdisられることが多いけれど、この意見は記憶しておいていいと思う。多少の誇張はあるにしても、米国と中国の力関係が、20年前とは様変わりしていることは、自覚しておく必要がある。
とはいえ、
世界の人々は「アメリカほど反権力的な文化が受容され、国民的支持を得ている国はない」という認識を抱くようになったからです。「ソ連に比べたらずっとましだ」という評価を無言のうちに誰しもが抱いた。この「ソ連」を「中国」に置き換えれば、今でも成り立つ話、でもある。