カテゴリー「映画・テレビ」の1000件の記事

2019.11.15

「アイリッシュマン」

NETFLIXの配信開始前なのに、渋谷アップリンクに掛かっていた。この後「マリッジストーリー」も上映するそうで期待大です。

ネット配信向けだからなのか、3時間半という長さ。知らずに見終わって映画館を出て時計を見てびっくりです。最後の方が少しダレたのは、ネット配信ゆえの緩みなのでしょうか。

とはいえ、ロバート・デニーロ、アル・パチーノが出ずっぱりで、飽きるという感じはありませんでした。やはり名優は偉大です。

お話は、裏社会と表社会の両方にまたがって活動してきたある男の一生、という感じで、人はそこそこ死にますが、普通な感じで荒々しさはありません。やるときは手短にあっさりと。

むしろ、仕事だけを考えて生きてきた男が、晩年にそれまでの諸々を精算し、家族には見限られ、言いようのない淋しさを漂わせる点で、裏の男も表の男も何の違いもないのだなということを感じました。

デニーロ、パチーノともう一人、ジョー・ペシがたいへんよかった。彼が演じたのは、実在の伝説的マフィア、ラッセル・バッファリーノという人。広範囲に影響力と人脈・人望があり、様々なもめごとの調整役を務める男。穏やかさと凄みとを併せ持つ物静かな初老の男だが、子供からは決して好かれない。抑制的に行動していても、悪が滲み出てしまうのだろう。そういう人物の感じがとてもよく出ていました。そのマフィアも、年を取れば手は震え足元はおぼつかなくなり、ただの老人でしかない。その老いも、ペシは上手く出しています。

それにひきかえ、デニーロの老人のまあ下手なこと。以前もそれで白けたことがありましたが、今度もまた。デニーロいつも溌剌すぎる(笑

アメリカの歴史を知っていれば、もっと深読みをしながら楽しめたかもしれませんが、私の知識では、ざっとそんなところまでです。

 

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2019.11.10

「アダムズ・アップル」

またまた良い映画を見てしまいました。
あまり話題になっていないようだし、たぶん、自分的にはすごく刺さるけど、一般受けはしないというやつです。

* * *

私の見立てでは、イヴァンは希望を表象しており、一方、アダムは現実を体現しています。

出だしの感覚では、当然ながら、受刑者であるアダムが悪人であり、それを更生させようとする牧師イヴァンが善人です。普通にそう思います。

ところが、徐々に、イヴァンという牧師のまともそうな外見からは想像もできない過去とその闇、異常さが、じわりじわりとわかってきます。アダムの悪人面が可愛く見えるほどです。このあたりの変化の付け方が、なかなかよい。

もちろんアダムも抵抗します。が、そのたびにイヴァンの議論という言葉の圧に押し返され、苛立ちが募っていきます。

しかしある日、アダムはそれまで見向きもしなかった聖書のヨブ記を読んで、イヴァンの心の奥を知ってしまいます。本の背表紙に折り目がついて落とせば必ずそのページが開いてしまうほど、イヴァンがそこを何度も読んでいたことも察します。

その聖書を手に、アダムは礼拝堂で、イヴァンの嘘で固めた世界を暴き立て彼を追い詰めます。
彼は勝ち誇って言います。「おれは根っからの悪党だからな」

それはつまり、現実から希望に対する宣言であり、希望などというものに勝ち目はないという宣告です。
イヴァンは耳から血を流して昏倒します。

決着はついたように見えました。イヴァンはついに自分の胡麻化しを認め、神の庇護たる奇跡を失い、死を自覚したのです。希望は失われ、現実が勝利したように見えました。

ところが、おかしなことが起こります。信じられないような偶然と幸運によって、希望は息を吹き返します。そんな馬鹿な、と現実主義者はうろたえるかもしれません。そういうものを人々は奇跡と呼ぶのかもしれません。

* * *

アダムは根っからの悪党と自称はしていましたが、世の中の常識からかけ離れたイヴァン達と出会って、意外なほど自分が常識を知っている人間であることに気づいたのかもしれません。彼の悪は単に、常識の枠内で粋がっていただけだったことを知ったように思えます。

それを、悟りというのかもしれません。

なんだかとても不思議で、味わい深いものを見た気がします。

全編に深刻ぶったところはなく、むしろクスリと笑えるようなユーモラスな場面が多いのに、とても深みを感じました。こういう作品を、傑作と言うありふれた言い方でなく、何か別の言葉で呼びたいのですが、何といえばいいのか。

マッツ・ミケルセン、ウルリッヒ・トムセンの組み合わせ、最高に面白かったです。
監督・脚本はアナス・トマス・イェンセン。

 

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2019.11.08

「グレタ GRETA」

あの「ELLE」のイザベル・ユペールさんです。あのときに比べると少しまとも。(笑
いや、方向が違うだけでヤバさの強度は同じくらいか。もちろん役柄の、ですが。

クロエ・グレース・モレッツも、アイドルとは言いながら実は怪物の役も結構ある。作中でも、この危険な老女を意図せず挑発するかのように、自分をチューイングガムなどと言ってしまう。粘着比べでもしようというのでしょうか。危なすぎます。

では、というわけでもないだろうけれど、イザベル・ユペールさんの危ない演技がその辺りから徐々にエスカレート。演出の上手さもあって、血が凍ります。後半の監禁あたりで、軽やかにステップを踏むところがあるのだけれど、その嬉しさのあまり焦点の定まらないような足の運びとか、絶品です。狂気を足で表現するなんて!

いやー怖いですね。ほんとに怖いです。

ただ、なんというか、クロエがそれに食われてなかったのも凄い。この人の存在感というのが、何から来るのか、いまだによくわからないですが、とにかく凄い。本作では、悪人に付け込まれやすい人の好さと頼りなさを余すところなく表して、観客を思いっきりいらつかせ、じらせてくれます。また好きになってまうやないか。

その頼りなさに呼応するかのような、頼りがいのある女友達の役を演じたマイカ・モンローさん。これは狂女の毒を毒で制するあっけらかんとした曲者の都会っ子(長いw)といったような役回りなんだけど、ぴったり。よくまあこんな似合う人を連れてくるなと感心します。

そういうわけで、三人三様に一分の隙もない配役で、狂気の世界を堪能させてくれました。

クロエ、これでまだ22歳かあ。

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「ターミネーター:ニュー・フェイト」

いやーこれは凄い。T2の正統的続編という看板に偽りありません。

冒頭から一気に緊迫するシーンの連続投入、一段落して“観客を”落ち着かせて背景などをちら見せしながら、、再びヒートアップして手を緩めずにエスカレートさせていく。それが嘘っぽく見えないのは、テーマをしっかり捉えているのが要所要所で見えるから。これはファン必見です。

最初のTは機械と人間の死闘だった。そこで機械は本質的に恐ろしいもの、人間の敵とされていた。

T2は、旧式ゆえに不完全な機械の中に芽生えた何かが、人の側に味方して自己犠牲の崇高さを示しながら最新鋭の機械に打ち克つというグッとくる内容だった。その点、TとT2はかなり違う。

(一応プログラムし直したと説明されてるけど、それだけだと最後のサムアップは説明がつかないよね)

 

そして本作は。

基本的に人間だが少し強い存在が現れて一層人間性が強調される。旧式機械も助太刀して力を合わせて最先端の機械を倒す。言うことありません。

基本的に"Humanity"が"Machine"に対峙するという大きなテーマは不動不変なところが、このフランチャイズ(っていうのかな最近は)の良さ。本作はそれを忠実になぞって正統の名に恥じません。

ただ、本作では重要な変化がひとつあります。

この作品では、人間の敵である最新鋭機械が己の心情を語る場面がある。いままでこういうことはなかったはず。ひたすら指令どおりに動く不死身で不気味な自動機械だったはずが、自分の意志のようなものを持っているかのように描かれている。

TやT2が劇場公開された頃と違って、機械の現実への浸透に対する感じ方には温度差がある。そういう今現在の状況でこれをどう見たらよいのか。考えどころです。

例えば、こんな話。
「オンラインゲーム「18歳以下 平日は1日90分まで」中国政府」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191107/k10012167921000.html

まあ、気持ちはわかります。一日中ゲームばっかりやっていていいとは思いません。
でもそれが例えば、特定の宗教を信じることは禁止、とか、特定の集団を批判することは禁止、異論は認めない、とかになってくると、どうでしょうか。遊びや信仰心や批評精神は人間性と深く結びついていると思うのですが、それが禁止されるとなったら。

程度問題だけれど、知らぬうちに人間性を抑圧するような仕組みが、もし出来上がりつつあるとしたら、それはまさに"Humanity"と"Machine"の闘いの予兆と言えるでしょう。本作で敵の機械たちを「リージョン」と呼んでいるのは偶然でしょうか。

考えすぎというのは簡単です。でもお隣のあの国が着々と構築しつつあるものは、スカイネットなんてものの比じゃなく怖いです。その向こう側にいるのは、正義を気取った人間であり、便利さや効率や道徳の教化という砂糖衣を被っているので始末が悪い。

スカイネットの脅威は核戦争の形で表現されていたのが、本作では糧食の供給断とされていたのも、現実味が増しています。

本作の登場人物たちが、警察などの組織力を頼らず、あくまでも自衛を旨として武器の蓄えを怠らないのも、底流にある作り手の考えが反映していそうです。現実世界の趨勢と違っていても、頭ごなしにああいう暮らし方を否定はできないという気にはなります。テキサスだし、しょうがないよね(笑

シュワルツネッガーは今回、"I won't be back."とさりげなく言って別れを告げましたが、このフランチャイズ、タイムリープものの嚆矢だけあって、いくらでも続編を作れる構造を内包しているんですよね。今回と同様に。

何年か後に、もっと世の中の状況が進展したところで、また新たな装いで作られたTを見てみたいと、強く思いましたですはい。

 

【追記】
あーでもいろいろ思い返してみると、T4あたりで人だか機械だかよくわからんのも出てきてました・・すっかり忘れてたw

 

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2019.11.03

「ジョージア、ワインが生まれたところ」

”映画で旅する自然派ワイン”というドキュメンタリー企画の2本のうち1本。

しばらく前に、テロワールという言葉が流行ったけれど、今はあまり聞かない気がする。生産者にとっては大切なこの考え方が、大消費地の片隅に生きる”消費者”に届くころには、すっかりマネタイズされマーケティングの小道具になり果ててしまったからだろうか。

本作の舞台であるジョージアは、カスピ海と黒海の間に位置し、葡萄とワインの発祥の地とされる国。そこで独自のワイン造りに携わる人々は、ワインはアイデンティティの拠り所であるという。東西の大陸に挟まれ何度も侵略と征服を経験してきた人々が、にも関わらずジョージア人という意識を保った鍵は、ワイン造りにあったと言うのだ。

例えば日本人が仮に、米造りこそ我がアイデンティティと言ったら、ひと昔前はともかく、今はそんなことはないだろう。だから、ひとつの食べ物なり飲み物が、長い歴史を貫いて国や地域のアイデンティティだという意識は相当なことではある。この地のワイン製法は、2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されたというから、その凄さは本物だ。

古来の製法については、このサイトに多少記述がある。
http://www.dtac.jp/caucasus/georgia/news_172.php
クヴェヴリという甕を地中に埋めて葡萄を発酵させるこの手法は、紀元前8千年まで遡るというから驚きだ。四大文明より古いですけど、ほんとかな。この文章は短いけれど、映画ではもっと詳細にワイン造りの様子をたっぷり見ることができます。

一方、このサイトには、同国のワインについて通り一遍の説明がある。
http://www.dtac.jp/caucasus/georgia/entry_103.php
けれども、ここで言及されている葡萄の品種は、旧ソ連時代に強制された大量生産用の品種のようだ。映画の中では、本来のジョージアの葡萄品種の豊富さに触れており、ソ連時代に畑を取り上げられ、多くの品種が失われたものの、各家庭がそれぞれ独自の品種を残された小さな畑で守り育ててきたことで、かろうじて伝統を今に伝えることができたことが語られている。

私達がワインを消費の対象と見てしまうのは、やむを得ないことではあるけれど、彼らにとっては、ワインは歴史そのものなのだ。アイデンティティであるとはそういうことなのだろうし、金のために作っているわけではないという主張にも頷けるものがある。

とはいえ、いったん世界にその存在が知れ渡ったからには、今後、そのアイデンティティの源である手造りのスタイルをどう維持していくのか、おそらく新たな課題に直面することにもなるのではないか。

願わくは、私達消費者に短期間で踏み荒らされることなく生き続けてもらいたい。そのために、こちらは見守るだけで欲しがらないという自制が必要になるとしても。

 

【おまけ】
最後のクレジットに「Shot by iPhone6」と大きく出てました。全然わからなかったヨ!

 

 

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2019.11.01

「マチネの終わりに」

はじめは、ちょっとキザかなあと思ったのでした。このまま真っすぐ素直に行ったらつまらないなとも。ところがお話は大転回して、この苦悩と取り戻せない時間をどうするのと思って見ていると、再度転回して、これ以上はない終わり方に持っていきました。原作のすばらしさでしょうか。

未来の行動が過去の記憶を変える、という箴言が、作中何度か出てきます。それを日常のちょっとしたケースに当てはめてお話の中に繰り返し埋め込みながら、最後に箴言を大きく成就して結びます。感動的。

単なるラブストーリーにとどまらず、実りある生き方とは、を描き出してくれる作品でした。
アコースティックな音楽もたっぷり聴けて嬉しい。

因みに観客は女性がほとんどです。男は気後れせずに見に行きましょう(笑)

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「IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」

原作は、ホラー版「スタンド・バイ・ミー」なのだそうだ。だからホラー要素はそれとして、お話の方にこそ力点がある。前作はその点、とてもよかった。なるほどスタンド・バイ・ミーだと。本作は・・・残念ながらそこまでではありません。だってみんな大人になっちゃったしね。

確かに、子供の頃のいい思い出も、穴に入りたくなるような恥ずかしい思い出も、忘れていたものを全部思い出して乗り越えていくというドラマ要素はありました。普通はそういうものは、蓋をして忘れます。たぶん一生。だからこのお話の群像がそれを克服するのは、立派なストーリーではあります。

ところが、その克服の仕方が、少し曖昧だった。前作はそれぞれが怒りの力で恐怖に打ち克っていったと思うけれど、本作ではそこがよくわからない。大人は子供に比べて複雑だからそれも仕方がないとは思うけれど、何か変な呪術めいた要素とか、おしまいはたんなる気合いみたいなお話。スポコンかw

まあ、最後にピエロから、みんな立派に大人になってと褒めてもらって、よかったんじゃないですかね。仲間内から犠牲者が出たのも、大人世界のリアリティを反映しているみたいで、こんなもんじゃないでしょうか。
これでおしまいでいいと思います。

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2019.10.27

「108~海馬五郎の復讐と冒険~」

松尾スズキという人をよく知らないのだけれど、wikipediaでこれまでの実績をずらり見ていると、本作はこの人の人生を本人以外の役柄に反映させながら映画に仕立てたような気がしてきた。もちろん、思い違いだとは思うけれど。

笑えるといえば笑える。最初の方は、定型の笑いを少しだけずらしたようなこそばゆさが面白い。でもだんだん笑いより哀切感が強まってきて、そのどの場面でも、本人がその場面にぴったりに演じているのが、ちょっとすごいなと思った。多芸多才な人という印象で、その積み上げを1本の映画に仕立ててしまいましたとでもいうか。エロ要素もふんだんにあるのだけれど、エロ一枚だけの薄さではなくて、複雑な気持ちが二枚三枚と重なっている感じがいい。

フリーパスがなかったらたぶんパスしていた作品だけれど、普段見ているものとちょっと毛色が違う面白さがあった。

【追記】

でもこれ女性が見たら噴飯ものだけど(汗

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2019.10.25

「ジェミニマン」

間違いなく一級品。アクションが凄いだけでなく、その背景の人間ドラマも今を掬い取っています。

* * *

何といってもまずアクション。スピード、切り返しの速さ巧みさ、武器の自在な活用、緩急の付け方、それだけでも大満足です。

逃避行に同行する女性との連携も自然で力強い。取ってつけた感がなくていいです。最初に彼女単独の力量を見せているのも効果的。

アクション映画は、金をかけたアクションをたっぷり見せたい意識が強すぎて冗漫になるところがあり、スピードやテンポを犠牲にして大見得を切るのが多いです。MIxとかね(^^;。そのため、現実味が薄くなりがち。

が、本作は違います。動きのキレがよい。大味なカーアクションを使わない。軽快なオフロードバイクを限界まで、しかも武器として使い切っている。削れるところを極力削ったことから生まれる、迫力、臨場感、小気味よさ。芸術といってもおかしくない。なかなか味わえない感覚を体験させてくれます。

クライマックスで破壊力の大きい火器の臨場感もたっぷり。ま、あの火線に当たらない主人公というのもちょっとなんですが、そこは軽くスルーしときましょう。

さて、それだけなら凄いアクション映画がまた一本ということで終わるのですが、本作は内容もいい。以下は少し穿った見方になります。ネタバレ注意。

* * *

いまどきの多くの米国人は、遠い戦地へ出かけて行って戦争することに疲れていて、続けることに疑問を感じ始めています。主人公たちのチームが何度も口にする「戦争のない世のために」という合言葉は、まことに象徴的です。

とはいえおいそれと止めさせてもらえない。それならいっそ危険な戦闘はクローンにやらせては。そういう筋書きには、うかとすると説得力があります。

現実には、クローンではないものの、ドローンの利用がオバマ時代に拡大したそうで、米国人の被害がないならいいかと思ってしまいがちです。本作の黒幕が恐るべき現実感を備えているのは、そういう実世界の背景があるからです。が、もちろんいいわけはない。それがこの作品の一貫した主張です。

本作ではその点を、オリジナルとクローンの和解の後の締めの一波乱に、隠し玉としてぶつけてきます。ドローンを是とするなら、これはどうなのか。見ている方は、いやでも現実との符号を感じ取ってしまいます。その兵器がヘルメットを脱いだ瞬間の驚きが、話に切なさと深みを加えます。

大義が怪しい戦争を、味方の人的被害がないのをよいことに、心の痛み、肉体の痛みが無い殺戮機械を使って続けてよいわけがない、という考えが鮮明に浮き出てきます。

* * *

そういう内容なので、本作の主役をウィル・スミスが務めたのはとてもよかったと思います。
クローンの方はCGだそうで、不気味の谷を感じる部分は少しあったものの、全体的には合格点でした。

 

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2019.10.20

「第三夫人と髪飾り」

チャンアンというベトナムの世界遺産の地を背景に描かれる、秘境の裕福な家族のお話。映像がもうそれは美しいです。近代の騒々しさとは無縁の、古き良き豊かな農村風景。

監督の曽祖母の体験に基づいているそうなので、それくらいの時代のお話です。その頃はまだ一夫多妻制が残っていたようで、家族といっても、家主と三人の婦人のもとに多くの使用人を抱え、養蚕業を営む大家族です。

お話は穏やかに流れていきます。第三夫人として嫁いできた少女が、気品、気骨を兼ね備えた第一夫人のもとで、家内のあれこれを経験していく様子を描いていきます。

穏やかなりに波乱や秘密もあり、なだらかな起伏があります。が、この作品のいい点でもあるのですが、黒い感情はありません。いや、あるいは、第三夫人の中に芽生え始めていたかもしれませんが、それは誰か人に向けられたものではなく、女を柔らかく束縛する目に見えないものに向けたものです。。

その感情は、家主の息子に嫁いできた少女の悲しい運命に触れて膨らんでいき、自分が生んだばかりの幼子への哀しい想いになっていきます。

女性監督らしいというと失礼かもしれませんが、こういう作風は男の監督には作れないかもしれません。第三夫人と対照的に、活発な第二夫人の女の子が、長い髪を自分で切って朗らかな笑顔を見せていたのが救いといえばそうでしょうか。

男が振るう暴力は人の生死を左右しますが、女は異なる方法で,日常的に生死を司っている、という観念が浮かびました。

 

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