「ノック 終末の訪問者」
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ナイト・シャマランなのにうっかり見過ごしてました。んで見てみるともう完璧にシャマラン。すばらしい。
今回は、避けられない災厄に対して、種としての人類はどう身を処すべきか、みたいなお話が下敷きです。昔話に、村の若い女を毎年一人龍神に捧げて安寧を祈る風習がよく出てきますが、あれを極限まで大袈裟にした感じです。
それを例によって、理性とホラーがせめぎ合う形に仕立てて飽きさせません。他のシャマラン作品に比べてもよりいっそう不可解な理由で人が順番に死んでいきます。その理由も、手を下した者も、目の前ではっきりわかっていて、でもそんな理由あり得ない、ペテンだ、という理性とのつばぜり合いです。いやもうこの設定誰が考えたのっていうエグさ。そうして、生き残った者は、また気を取り直して生き続ける。そういうお話です。
最後の、カーステレオのスイッチを入れたり切ったりする無言のやりとりが、実に味わい深いです。他者を犠牲にして生き残ってしまった後ろめたさ、苦い思い、世界の滅びを食い止めるには仕方がなかったという自己弁護、それが二人の間で時間差を持って行き来します。それがはた目にはスイッチを入れたり切ったりの幼稚なチャンネル権争いに見える滑稽さに当の二人が同時に気づいて、ふと笑みが戻ってくる、まるで曇天に一筋光が差したかのように、生きる力が二人の中に湧いてきます。
最高ですね。素晴らしい。
コロナ禍でたくさんの人が亡くなり、当初は本当に人類滅亡もあり得るかと思えた後、しばらくしてどうやらまだ我々は絶滅しなくて済むようだと徐々にわかってきたときの安堵感を思い出します。
災害と隣り合わせでずっと生きてきた日本人の我々にとって、この作品はとても身近に感じられます。避け得ない別れを何度も経験してきて、それでも生き残ったならば、先に逝った人々を心の裡にそっと抱えて、負けん気を奮い起こして明るく前を向いて生きていく、そういうことが、この最後の短いやりとりに凝縮されているようです。
さらにもう一歩考えを推し進めれば、災害に限らずものごとには犠牲が付きもので、それは重いものだけれど、それを言い訳に歩みを止めたりはしないという人生訓に昇華することもできるでしょうか。
シャマラン、相変わらずいいもの作りますね。
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