「箱男」
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宿敵「ワッペン乞食」ってどこのアメコミですか。出だしは箱男とこの前座とのバトルアクション。直方体の箱から短く出た足の滑稽さ加減が漫画のよう。でもコミカルなのはここまで。以後はどろどろした内面の世界に突入します。
原作は読んでないけど、映画にはいろいろな要素が登場して、一言で言うのは難しいですが、私には人が他人や世界をどう認識するかというお話のように思えました。
人はまず自分の物語を持って、その中に周囲の要素を位置づけることで他人や世界を認識する、といったようなことです。なるほど感がありました。
一方、他人も各自が各々の物語を持っているので、自分の物語とは当然ながらせめぎ合っています。そして強い物語の方が勝つことで弱い方を物語に組み込んでいく。まるで我々の人生そのものです。
安全な箱の中から世界を覗き見ることは、自分の物語を他者の取り込み圧から守ることなのかもしれません。ニセ医者はカメラマンの物語を下敷きにすることから始めて、自分オリジナルの物語を強い力で書き上げました。本物になるとはそういうことかもしれません。本物になった彼は、もう他人を必要とせず、この物語からフェイドアウトしていきます。
コミュニケーションに長けた女という生き物は、箱男的な生き物である男にとって、自分の物語を他人の物語と交わらせる鍵のようなものなのでしょうか。作中では、光の天使と表現していて、箱男は一旦はその手引きで箱から逃れるように見えました。けれども箱の磁力は強く、男はまた元に戻ってしまう。女は憐みのまなざしを残して去っていきます。
原作がどういう趣旨の作品なのかわかりませんが、映画を見た感想はざっとそんなところです。こうして感想文を書き連ねている私は、「箱男」という映画を自分の文脈・物語の中に位置づけて捉え直そう、作品に翻弄され溺れかけた自分に主体性を取り戻そうと悪戦苦闘している、まさに箱男そのものと言えるかもしれません。最後のシーンで、箱男とはあなたのことだ、と言っていましたが、その通りですね。なかなか面白い作品でした。
ただ、主体的に生きるということが即、世界との対決になってしまっているのは、かなり昭和っぽい気がします。他者とコミュニケートしながらも自分らしさを保つ令和風の生き方からすると、ちょっと古い感じがしました。でもまあ現実は相変わらずその程度なのかもしれません。