「Shirley シャーリイ」
https://senlisfilms.jp/shirley/
これはまた凄い映画を見てしまいました。のっけから、スランプに苦しむ小説家の異様な感じに気圧されます。エリザベス・モス怪演!の宣伝文句に誇張はありません。まさに魔女。
その魔女の毒牙にかかるのが、いかにも善人な若夫婦。きたきたきたよ犠牲者が。というサスペンス風のはじまりです。
ところが、この若夫婦の妻の方が意外に根性があって、魔女の毒舌にもめげずにむしろそのインスピレーションの元になり始めるのが不思議です。小説家に示唆を与えられる程の教養が身を守ったのでしょうか。でもこの魔女がそんな甘ちょろいはずはないのだが。束の間の絆。どんでん返しの悲劇の予感。若い夫の方についてもこんな風に言います。
「縄を与えて見ればいい。自分で縊れにいくだろう」
二人の女の会話のなかで、妻の座を保つ苦しさに触れています。これは若妻についての話で、小説家のことではないのですが、作品の最後に、それが実は妻というものに普遍の悩みであることがわかります。が、それはもう少し後の話。
本作は、創造的な仕事をする人間の業の深さのようなものを、終盤にかけて浮き上がらせていきます。魔女は絶妙のタイミングでアカデミズムの裏側の腐敗を明かし若妻を追い込みます。そこからは、贄となった彼女の朦朧とした意識そのままに映像が展開していき、悲劇へとつながっていきます。自らは手を下すことなくそこまで人を追い込み、それを自分の作品の粋に封じ込め、傑作を生みだす小説家。鬼ですね。
そして、本作の真髄は、そのあとに訪れます。彼女が書き上げた傑作を読んだ夫の教授が妻を賞賛するシーンの中に、教授の妻の座をどうにか今回も守り通せた小説家の安堵を見たときに、この作品の深淵がぱっくりと口を開けるのです。この女は、そのために、人をひとり死に至らしめた。
本当におそろしい。傑作です。
(補足)
で、本作は「ルックバック」を見たすぐあとに見たのですが、創作活動の捉え方において2作を比べると、これほどの違いがあるということに、ちょっと感動したりしています。これは幼さと成熟との差と捉えられがちですが、そうでもないというのが率直な感想です。というのは、本作では成熟の裏に腐敗が見えているからです。
変に大人ぶらずに、純情をもっと愛でましょう。
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