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2024.05.24

「ありふれた教室」

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学校を描く作品は、些細な齟齬が玉突き的に拡大し、日頃から鬱積する不満や対立にまで飛び火して収拾がつかなくなる、という展開が多い気がする。是枝監督の「怪物」もそうだったろうか。トラブル連鎖型とでも言うのだろうか。実際にも、社会の縮図と言われる学校現場は、対応を誤れば炎上する要素満載の火薬庫なのかもしれない。

中でも本作で目立つことはいくつかある。ひとつは、隠し撮りに近い形で得られた映像への拒否感だ。隠し撮りという行為の倫理性が騒ぎの元になり、動かぬ証拠の価値はほぼ無視されている。自分の感覚だと少し違和感があるが、学校現場のような倫理を教える場では、証拠入手方法の正統性の方が重要なのだろうか。

もうひとつは、主人公の正義感のつたなさとでも言おうか。動かぬ証拠を手に入れたはいいが、それを使って自分と相手だけの間で解決しようとしたのは軽率すぎた。それとも個人主義の西洋ではあれが普通の感覚なのだろうか。そんなことはあるまいと思う。

まあ、映画という虚構の世界だから、そうした微妙な違和感は目を瞑って、燃え上がる炎が燎原の火のごとく広がっていく光景を楽しむのがいいのだろう。

実際ここには、実に多様な問題提起がある。生徒に対する不信と決めつけからの調査、強迫、密告の強要、不都合な事実の口止め、動かぬ証拠を突き付けられたベテラン職員の強硬な否認、証拠が示す事実よりも証拠の入手方法を問題化する表層的な倫理観、実在する人種差別、実在しない人種差別への過敏な反応、犯罪を誘発する罪作りなセキュリティ意識の低さ、それに乗じる倫理観の低さ、自分の過ちを絶対に認めず相手の不備を針小棒大にあげつらう臆面のなさ、大人のエゴに巻き込まれる子どもと、大人の上げ足を取る子ども、対立の当事者を向かい合わせて握手させようとする小賢しさ、それで解決できると信じ込む浅慮、議論の場の趣旨を弁えず視野の狭い自説のみ声高に主張する幼稚な大人、子どもによる集団での威圧、マスコミ権力の濫用、等々。挙げるときりがない。

しかし、そうした悪い面ばかりの羅列は背景でしかない。むしろ要所に織り込まれた善い面が、周囲の愚劣さとの対比によって際立つのが、この作品の本旨だとも思える。

当事者の少年は、最初は本能的に母親を庇っていたが、教師に自分の小遣いを差し出して問題解決を図ろうとするのを見れば、早い段階で親の犯行を確信したのは明らかだ。なんともいじましくて胸が締め付けられる。

騒動に悪乗りする子どもや、マスコミを真似て賢しらな振る舞いを無表情で行う子どもにはあまり共感できないが、渦中のこの子には同情を禁じ得ない。

だから、その彼と担当教師との結末のシーンは心に残る。親からの電話に出なかったことで、この子は一歩、大人になった。教師がくれたパズルを無言で解いて見せることで、この騒動の解決を暗示すると同時に、話し合える相手との和解というものを会得した。この子は親が足元にも及ばないような大きな人間になるだろう。警官に椅子ごと担ぎ上げられて学校を退去していく姿は、まさに幼い王者でした。

傑作です。

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