「猿の惑星 キングダム」
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前作は、ごく一部の猿が知性を獲得し、人間の支配下から脱する始まりの時代の話だった。だから、猿たちの仕草には野生が色濃く残されていて、それがたどたどしい言葉を発するのが驚きでもありこのシリーズの楽しみでもあった。
それに対して本作は、時代が下って猿たちの言葉も流暢になり、逆に初めは違和感があった。人間臭すぎる態度物腰の猿たちの集落は、もう人間が主役の普通の映画と何ら変わらない。
映像的な驚きだけでは、もはや作品を成立させることは難しいと考えたのか、作り手はそこに社会派映画的要素を取り入れてわりと見応えのある作品に仕立てている。
狭い土地で自給自足しながら安寧に暮らす村人(猿)たちと、それを武力によって侵略し自らの権力構造に組み込もうとする王国との軋轢は、まるで部族社会から大きな社会への過渡期での人間社会の闘争を丸ごと引き写したかのようだ。
猿たちの偉大な始祖であるシーザーは「猿は猿を殺さない」という言葉を残したが、それは細い糸で受け継がれてはいるものの、残念ながら王国の猿たちはそれを忘れたようだ。
兵士は役目を果たすためにそれをするが、村猿は追い詰められてやむなくという形でやはり同族を殺す。シーザーの高邁な理想は現実に手痛く否定される。
面白いのは、この理想と現実の葛藤を、猿の側と人間の側の両方で同時進行的に描いていることだ。主人公との絆を育む人間の女は、観客が普通に感情移入するはずの対象だが、それが目的達成のためにやむなくとはいえ、秘密を知られた人間の男を羽交い絞めにして殺す。人間の暗黒面を目の当たりにした純朴な村猿たちの恐怖と不信のまなざしが、本作の真骨頂だろうか。この瞬間に、本作は凡庸さを脱して、人間と猿の二種類の知性の中に構造的な類似を見せるという独特の成り立ちを獲得する。
この構図は、エピローグでもう一度繰り返される。人間の善性をまだ信じたい我々観客は、最後のこのシーンで、村の再建に勤しむ主人公を訪ねてきた人間の女に、謝罪と和解を見て気持ち良く終わりたいと勝手に思い込むのだが、またしても、女が背後に隠し持った拳銃を一瞬見せられて背筋が凍ると同時に、彼女の複雑な表情に、その心境を読み取って感慨を覚えることになる。
猿の王国の王は、押し出しの強さだけでなく、賢さと先見の明があり、才ある者の価値を認める度量があり、ある意味、王者の資質がある猿だった。覇王なのだから武力を求めるのはむしろ当然のことだろう。最後は部族社会の猿たちに打倒されるのだが、この王にも確かにひとつの正義があったと思わせる描き方になっている。これもある種の感慨を呼び起こす。
一体、見ている方はどの猿、あるいは人にシンパシーを感じるべきなのか。
作り手が示す中立的な目線が、個々の登場人物の気質や立場と絡みあって、微妙な心境に導いてくれる良作でした。互いに連絡を取り合うことに成功した人間たちに、部族社会の猿たちがどう対峙していくのか、今後の展開が楽しみです。