「悪は存在しない」
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むしろ、悪意は存在しない、とでも言った方がすっきりするような内容だった。
確かに、登場人物各々に悪意は見えない。補助金だろと言った金髪の若者にあるのは悪意ではなく嫌悪だろうし、うどん屋にあるのは暮らしの根を失う不安だし、便利屋は超然としているようにも見える。開発提案側の社員2人に至っては、地元民側にシンパシーを感じ始めるくらいで、押し付けられた憎まれ役の立場を放棄しかかっている。自分のストレス解消という利己的な立場ではあるけれど、それは地元民の半分もそうだろう。社長は資金繰りに追われる哀れな存在だし、コンサルは数字と時間と制度と業績に人生を食いつぶされる愚かな生き物だし、さらに姿は見せないが、補助金政策を企画立案した側も、その窓口になっている役所の担当者も含めて全員が、何の悪意もないだろう。
バランスだ、と地域の顔役は言った。上のものには義務がある、とも。また便利屋は、一線を超えるとだめだと言った。開発の最大の問題点である合併浄化槽の排水は一線を越えてしまっているように見えるけれど、作り手はこれについて、堆肥の山から立ち上る蒸気と悪臭を見せている。もう同じようなことを地域の人間はやっている。人間の排泄物と牛のそれとで何の違いがあるものか。
道路をアスファルトで固め、ガソリンを燃やして走る車が必需品であるような暮らしをしておいて、後から入ってきた同類にはだめだと言えるのか。超えてはならない一線などあるのか。
唐突にその一線は現れる。銃弾で手傷を負った鹿と、向き合う小さな娘。勘の鋭い便利屋は、そこに禁忌を見て取っただろう。今はなき妻がどう関わっているのかは想像するしかない。口にはしてみたもののはっきりとはイメージしていなかったそれが、突然目の前で具現した。彼は極度に緊張していたはずだ。
思い出してみれば、社員の女性が鹿と人との関わりについて一見誠実に考えを巡らしていたけれど、それはあくまで人の側の都合に過ぎない。利己的で鈍感な都会の人間が、その触れてはならない一線に人間の理屈で愚かにも干渉しようとした瞬間、彼は獣のように反応した。
あの終わり方は、そういうことだったのではないか。
作品にのまれているうちに、善悪などという卑小な人工の概念はすっかりどこかに消し飛んで、粛然とした空気だけが残っていました。
暗い森をよろけながら彷徨う息遣いのシーンは、我々に人心地を取り戻させてくれますが、私としては、ちょっと蛇足に見えました。
車やチェーンソーのある文明世界と、凍った湖や雉の尾羽や山わさびの群生や飲める湧き水といった自然とが、ちょうど出会う狭間の領域が描かれていたようでした。私の好きな世界です。音楽が入っていないのは、この作品の特異な制作過程の反映でしょうか。