「サン・セバスチャンへ、ようこそ」
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これは映画の教養がないと半分も楽しめない感じ。私にはさっぱりでした。
古典映画を教えることを生業とする主人公が、その古典の名作シーンを折々に妄想しながら、その中の登場人物を自分の周囲の人間に置き換えて、さえない小太りの老人である自分への批判や賞賛、哲学を語らせるのですが、おっさん、その妄想癖治した方がいいぞと思うくらいで、どういう置き換えの妙があるのかはわかりませんでした。
その一方で、このおっさんこそが本作の中心に位置して、そのキモさ加減を存分に観客に向けてぶちまけることについては、痛いほどよく分かってしまいます。体つき顔つきしぐさはもちろん、唾液でぬらぬらした半開きの口元に短足蟹股禿げ小太りに加えて、その口の利き方の傲慢さ考え方の厚かましさと、キモ汁エキスを体中からどばどば出している感じ。ああはなりたくないもんだ。(役者さんお見事)
でも、物語の終わり近くで、まだ若く情熱的な不倫妻に三行半を頂戴するところでは、さすがに同情します。なにせこの妻ときたら、夫の前であっけらかんと、不倫相手との情事を思い出して身悶えするところを見せつけたりするのですから。なんと憐れなりおやじ。
さはさりながらおやじの方もご当地美女に横恋慕してなんとそれが成功かと思わせる微妙なところまでいくのですから、まあお互い様。でもそれも最後は儚い空想に終わります。失意のどん底でおやじが見た妄想は、死神に説教をくらった挙句に健康についてのいくつものアドバイス。死にたいくらいの挫折感を味わっているのに、体は健康そのもので死神にすら相手にされないなんて、なんて悲しい生き物なんだおやじ。
とまあ、キモいおやじへの憐憫と同情で幕を閉じるのかとおもったら、最後の最後で、またむかつく態度でくだらない上から目線の質問を観客席へ投げてよこしやがるのでした。おやじ真骨頂全開です。さきほどまでの同情はふっとんで、死ねや! という感想で終わるのでした。
そういうものを見せたかったんでしょうかね? 本作のウッディ・アレンは(笑)
あーつまり、具体的なモノを作らずに批評ばかりしている高尚ぶった勘違いおやじのキモさを。
確かにいつもどおり味わいのある作品でしたが、あのおっさんに迂闊に感情移入するとキモいのでもやもやします。それと、話の進行はわりと一本調子で、今回はあっさり作ったなという感触でした。
そうそう、アレがクリストフ・ヴァルツだとはまったく気づきませんでした。顔大写しだったのになあ。