「ゴジラ-1.0」
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私の親は他界してもう30年くらいは経つのだが、その世代までは、先の戦争の記憶が実体験として残っていた。日常には滅多に表れないが、ときおりその傷がふっと露出することがあった。具体的にはどんなシーンだったか覚えてはいないけれど、そこには、生き残ってしまった後ろめたさのようなものが漂っていたように、子供心にも感じることがあった。
進駐軍で経理と通訳をやりながら、それなりの生活を確保していた者でさえそうなのだから、当時の日本人全般がどれほどの痛みを抱えていたかは想像に余りある。だから、本作が描くその痛みを、私は素直に理解できるし共感もできる。親たちはどうにもならない状況の中で必死に生きていたはずなのだ。
翻って、いまの若者たちにこの映画はどう映るのだろう。どうも心許ない気もする。作中で兵長が戦争経験のない若手に、作戦には同行させないと言ったとき、彼の心の裡には、敗戦の後始末は自分達の罪滅ぼしを兼ねた仕事であって、その罪を背負わない若者を巻き込むことはできないという気持ちはもちろんあったろうけれど、同時に、自分達が負った傷の大きさが、若者にわかってたまるかという思いもあったかもしれない。だれかが貧乏くじを引かなきゃならんだろうという台詞に、その複雑な心中が表れているようだ。
それでいい、と思う。
旧い傷は旧い世代が背負ったまま年老い消えていくのが生命の摂理というものだろう。そうやって傷は何事もなかったかのように土に還り、新しい世代は新しい環境に適応して生き延びていくのだろうから。
この映画はそういう本源的な部分をしっかり捉えているように思う。そのうえで、自暴自棄も英雄的高揚も否定して、必死に生きることの尊さを的確に示している。
ゴジラ映画の原点に戻るはもちろん、そこからさらに遡って、より大きな生き方を指し示しているようで、-1.0という命名に納得した。
映像的には文句の付け所もない。「シン・ゴジラ」の悪魔的な映像を見たときは、もうこれ以上のゴジラは作れないだろうと思ったが、どんな高みもいずれ越えられる宿命にあることがまたしても実証された。特にゴジラ撃滅作戦があと一息で成功するかに見えた瀬戸際のゴジラの断末魔の様子は、今まで見たことのないものだ。これまでのゴジラ映画は、この部分がもうひとつだったが、本作はそこを完璧にしてきている。凄まじい想像力と迫力。
人間ドラマと怪獣ゴジラの死闘とをこれ以上なく融合させて描き切った力作でした。