「サムシング・イン・ザ・ダート」
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ロサンゼルス郊外のアパートで繰り広げられる、不思議でちょっと切ないお話。主人公は夢ある少年少女ではなく中年に差し掛かった男二人。男という生き物のロマンとか野心とか臆病さと非情さとか悲しみとかがないまぜになってしんみりと残る。傑作というのと少し違うのだが、妙に心に残る作品。
* * *
一人はそこそこの成功を収めて気ままな暮らしを楽しんでいるかに見えるが、ゲイの夫に別れられた自称カメラマン。もう一人は貧相な風体で社会から逃げるようにしてここへやってきた入れ墨男。
そんな少しうらぶれた中年男たちが、浮遊するクリスタルという摩訶不思議な現象を目の当たりにし、一攫千金を夢見てドキュメンタリ映画を作ろうとする。
だがいつも些細な準備不足や手際の悪さやあれやこれやで、制作は思うように進まない。それどころか、撮影の過程で二人の様々な裏の顔が互いに少しづつ見えてきて、映像制作よりもそちらの確執へと話しの重点が移っていく。
入れ墨男が実は複数の犯罪歴があり保護観察の対象になっていることが、共同制作に影を落とす。仕事はどれもリゾートバイトばかりで、たしかに不運ではあるのだが、本人自身にも問題が多い。成功者がこの前科者に面と向かっていみじくも言った通り、彼は成功を前に躊躇してしまうのだ。成功することが何か悪いことのように思って背を向けてしまう。そう。我々日本人にはお馴染みの特質であり、アメリカ的な成功者から見れば単なる弱さでしかないあれだ。
とはいうものの、成功者に見える男の方もゲイの夫に縁を切られながら生活費の援助に縋るような裏の顔もあって、奇妙に人物像が錯綜している。
錯綜といえば時間軸もそうだ、はじめは映像制作に勤しむ二人の時間軸で話はすすむのだが、少しづつ、制作が終わったあとの回想録のような短い映像が差し込まれて行って、しまいにはそちらが話の本筋になっていく。この振り替わりというか筋の転換は本作の際立った特徴だろう。通好みというか。
その時間の転換の絶妙さが、最後にこの二人の悲しみや切なさを滲みださせていてしんみりする。これは、成功を夢見ながらそれを自ら拒絶してしまう、悲しい男への鎮魂の詩だったのだろうか。
男には、女と違って子どもという未来がない。
なんとなく、最後にそんな感傷を抱いてしまうような作品でした。
