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2023.07.09

「Pearl パール」

https://eiga.com/movie/97924/

「X」というホラー作品の前日譚だそう。そして実は3部作の構想のもとに送り出された2本目だとか。

見始めると、これは前作を見ておけばもっと楽しめる映画なんだろうなという感覚に囚われる。カットの端々に前作を思い出させる雰囲気のものが映り込むのだが、前を知らないのでその意味を十分読み取れない。

そういうもどかしさはあるものの、本作はホラー映画の真髄、すなわち人というものの歯車が狂ってしまったときの恐怖をしっかり描き出していると思う。それでも前作に比べれば凡作だという評を見ると、どうにも1本目を見たくなる。

とはいえ、ホラーに対する世評というのは、失礼ながら血飛沫とか絶叫とか視界に不意にはいってくる気味悪いものとか、物理的なものに傾きがちだから、私の感覚とはずれているかもしれないとは思う。本作の怖さはそんなところには無い。

この作品の怖さは、主人公の女性が抱く不運な境遇への恨みに基づいている。その恨み自体は「理解できる」ものであるからこそ怖いのだ。同じ境遇でどうして自分や近親者がそうならないと言えるのか。

もちろん、この人物が生まれながらのサイコパスであることを初めに示してはいるから、誰でもそうなるわけではないという常識的な理屈は織り込み済みだ。しかし同時に、母親からの遺伝であることもそれとなく匂わせながら普通と異常の境界を曖昧にしているので、常識的な解釈で自分とは関係ないと言わせない。こうして手が込んだ理屈の罠を仕掛けて、普通であり得たはずのものが次第に普通でなくなる可能性を匂わせいく。「私って怖い?」という主人公の悲痛な問いかけは、普通に振る舞いたいのにそれができないこの女のどす黒い魂の悲鳴だ。これが怖くないわけがない。関わりたくないと誰もが思う。それをこの異常者は敏感に察知して怒りを昂らせていくという悪循環。存在自体が罠なのだ。あなおそろし。

もともとおかしかった主人公だが、不遇な環境でなければ、その異常性をここまで発現させずに無事に一生を終えることもできたのかもしれない。けれどもそうはならない必然もあった。

それを象徴的に表しているのが、姻戚が親切心で差し入れてくれた豚の丸焼きだ。他者からの援助を頑なに拒む母親の狭量がこの一家を蝕み腐らせていく過程を、玄関脇に放置され次第に蛆が湧き腐臭を放ち始める豚の料理で見事に表現している。このガジェットが、他の犠牲者がこの家にやってきたときに真っ先に異変を嗅ぎ取る手掛かりになっている仕掛けもにくいほど上手い。上手く隠したつもりでも本性は隠しきれない。

環境や状況に突き動かされながら、女は次第にその本性に覚醒していく。友人である義姉を前に不満をぶちまけ始めると、もう止まらない。長い一人語りを通して恐怖がじんわりと加速していく感じは、本作の最大の見せ場だ。あーこれはやばい、早く逃げろ、取り繕っているひまがあったら脱兎のごとく逃げろと思って見ていながら、結局これも逃げきれず惨殺されるまで見せられる。あー怖い。

この作品には驚きはない。ただひたすら、ある種の現実にあり得る恐怖を見せられる。なんという怖い作品でしょう。1と3も是非見たい。主演のミア・ゴスさん、巧みな表情の変化でサイコパスの心の変容を見せつけてくれました。すごいですね。

そうそう、ひとつ勉強になったことがある。この女殺人者の夫はいいところの御曹司で、彼女は彼をつかまえることで農場暮らしから脱出できると思ったのに、夫の方は彼女が忌み嫌った農場暮らしをこそ夢見て彼女と結婚したのだという、なんともやりきれないすれ違いもあった。これも彼女が抱える痛みのひとつなのだが、男目線からはそういうことは見えなかった。女のあまりにも自分中心な語りの中に、一片の真実を見た気がします。

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