「ウーマン・トーキング 私たちの選択」
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もちろん、これは現代の寓話だ。いや、実話に基づいているし話の内容は女たちが正当な地位を獲得するための直接的な行動を描いているから、寓話と呼ぶのは不適切かもしれない。
にも関わらず寓話的な印象を強く受けるのは、この話が、権力や歪な制度から受ける理不尽な暴力と搾取に辟易している全ての人間に訴えかけるものがあるからだ。それを、少し前の時代を思わせる因習の軛に組み敷かれた女たちに投影して見せている。
映像はモノトーンで、登場人物たちの服装は古めかしく、乗り物も馬車に限っている。そうやって、昔語りのような静謐な空気を作ったうえで、いかにも不自然で場違いな自動車とけたたましいスピーカーを、2010年国勢調査という名目で短い時間だが突然投げ込んでくる。このことが、本作が昔あった実話ではなく、まさに現代社会で進行中のできごとのたとえであり、現代の寓話であることを端的に示しているように思う。
女たちの話し合いは二つの意見の対立に集約される。戦うか、逃げるか。何もせず受け入れる選択肢は少数派のものであり、早期に場からはずされる。
二通りの道を巡って、静かに熱く話し合いが続けられる。各々の意見も右に左に揺れながら、それでも戦うことには強い抵抗感があり、なによりそれは赦しを説いたキリストの教えに反することから、皆の意見は次第に逃げる方へと傾いていく。
それでも、子どもや夫、愛する者たちを置き去りにただ逃げだすことでいいのかという疑問は解消しない。おおよその流れは決まっているのだが、そこに納得感がない。
ここで、年長の年老いた女が知恵ある言葉を語る。それは彼女のものというよりは、聖歌の中に織り込まれ長い年月を経てきた人の知恵の粋だ。距離と時間を置くことは、狭量な我々が赦しに至るためのほぼ唯一の道なのだと、その歌は告げているかのようだ。逃げるのではなく距離を取る。いつか相手を赦せるように。
こうして、女たちは納得し、日の出とともに馬車を連ねて旅立っていく。その様子はまるで出エジプトを思わせる。数千年にもわたって、人はたいした進歩もせず同じような困難と向き合い続けて、今度もまた、といったところか。まさに寓話的な締めくくり。
本作は、聖書の言葉や聖歌を端々に織り込んでいて、まるで宗教が色濃く残る地域に語り掛けようとするような含みがなかっただろうか。
あるいは、男性としては唯一の登場人物については、どのような意味があっただろうか。男と女は決して全面戦争をしたいわけでもないし、男の側にも理解者は居るというところか。
いずれにせよ、必ずしも論理的な展開とは言えない筋書きではあるにせよ、落としどころの納得感には大いなる知恵が感じられて、良い作品でした。
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