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黒澤明の原作のリメイク。いまこのテーマの映画が作られるにはそれなりの意義があるだろう。原作の幹を成すコンセプトはしっかり受け継がれて再び見る人を感動させる。
見始めてすぐにわかったのだが、原作が戦後昭和のコミュニケーションプロトコルを当然のように駆使していたのに対して、本作は我々が憧れる英国紳士階級のプロトコルを使って、原作の筋をほぼそのまま再現している。先週原作で予習した身としては、だから、英国紳士のかっこよさを見るのがよい、という見方になった。
どこが違うかといえば、英国風はやっぱりあか抜けていてスマートだ。その代わりに階級の壁は厳しく存在している。例えば原作で主人公が工事現場の視察で驀進するトレーラーを避けようとして転んで泥まみれになるシーンがある。英国版だとこれが、体調をくずして椅子に掛けさせられお茶を飲むシーンになる、といった具合。
なにより、原作では沈黙と映像とで表現している心の動きを、英国版ではあくまでも秩序だった言葉で表している。
どちらがいいのかはわからないが、旧い日本人としては原作の方が、主人公の血みどろの奮闘が身近に感じられたことは否定できない。
もちろん、英国では紳士の階層と労働者のそれとがはっきり分かれているそうだから、この映画では示されない我々同様下世話な部分もあるのだろうけれど、作品の中にはそれは現れない。
ただ、本作が原作を上回ったと思う点がひとつある。
原作では、故人の奮闘ぶりと周囲の思惑はすべて葬儀の席で語られ、それゆえにそこが少し長いと感じられなくもなかったのだが、本作では、葬儀の場、後日譚の汽車の中、そして最後に現地の夜と分けて語られることで、あっさりした中に感動を織り込んで、センスがよい。これは彼我の社会や人々の在り方そのものにも関わりそうなところなので、迂闊に優劣は言えないのだが、私は本作の捌き方の方が、感動の質が上がる感じがした。
そして、原作と違って本作では、主人公の考えが、職場の若手への遺書の形で、はっきりと言葉で示されるのだがその中に、「この仕事は小さなものだ」という言葉がある。
そこには、公僕が持つべき社会全体への眼差しと個々の思いで奮闘する個人との結びつき方がはっきりと示されていて、この人物の教養の高さが窺える。
原作では、個人の思いの強さが全体の優先順位を押しのけるのが無条件によいことだと受け止められる面もなきにしもあらずだったが、本作はそこを、ケースバイケースだよ、がんばれと、若者を諭し励ましているかのようだ。後味はこの方がずっとよい。
基本の感動は共有しながらも、この辺りの一連を原作とは違ったシークエンスにすることで、本作は原作を超えたと思う。公共というものに対する構えの違いが現れたと言えるかもしれない。
ともあれ、英国紳士の在り方を感じ取ったり、英語の教材にしたりもできそうな、上質な作品に仕上がっておりました。