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2023.02.05

「イニシェリン島の精霊」

https://www.searchlightpictures.jp/movies/bansheesofinisherin

アイルランドの西側にアラン諸島という3つの島があり、ここが舞台らしい。streetViewで見ると、なるほど映画に出てきた荒涼とした地だ。こんな土地を舞台に作り手は何を描こうとしたのか。いや、こんな土地だからこそ描けるものは何か。

文明の光がかろうじて届く最果ての地。後背地もない小さな袋小路の島。そこでは文明社会の末端に繋がる人々と、痩せた土地にはりついて生きる人々が、肩を寄せ合って生きている。

なにしろ狭い世界だから、お互いなるべく摩擦を避けて、「いいひと」でいることが習慣になる。そうして過ごすうちに、いいだけの人の感性は鈍磨して、文化と教養の香りを知る人との溝は知らないうちに深まっている。

この作品は、そういう背景のもとで、田舎と都会、集団主義と個人主義、情緒と理性といった対立を主軸として展開する。日々の変わらない暮らしが生きる意味そのものであるような生き方と、後世に残るなにがしかの事績を目標に励む生き方との相克とも言える。あるいは、ジモティーと意識高い系とでも言おうか。

意識高い系の教養人はジモティーの農民とはもう絶縁したい。一方農民は教養人を自分と同じ目線に引き戻したい。あらゆる時代に通じる普遍的な対立構造だ。なんという面白さ。

本作ではこれを軸にしながらも、互いの共通点も描いている。荒れた風土の影響だろうか、行動はどちらもぎょっとするほど過激だ。その暴力的な振る舞いには教養もへちまもない。だがその過激さが、二人の溝の深さを強く印象付けてくる。

農民の妹は読書家で、文化の素養がある人間だが、粗野な兄と島への愛情は揺るがない。両者を繋ぐ存在に思えたが、その彼女でさえ次第に退屈と苛立ちを感じるようになり、最後には島を離れていくことになる。彼女が去って孤独になった兄の心が頑なになっただろうことは想像できる。

その一方で、文明社会の権威をかさにきた司祭や警官に対する感情はみな共通だ。この点では、権威の横暴を仕方なく受け入れている農民のほうがおとなしく、文化の反骨を知る教養人の方が躊躇なく実力行使に及んだりもする。そうしたときだけ、見ている方は友情の名残りを感じるのだが、しかしそれは錯覚に過ぎない。

互いの応酬は次第にエスカレートしていき、ついには農民がこよなく愛したロバが巻き添え事故で死ぬに至って、亀裂は決定的になる。農民の心は昏い復讐心に塗り込められ、この闘争を未来永劫続けると決意する。

だがそこまでに至っても、教養人の飼い犬の安否は気遣う農民の心持ちには、単純で強い感情だけで推し量れない機微をも感じさせる。

この、随所にみられる複雑な機微が、本作の味わいだ。「スリービルボード」でもそうだったが、作り手はものごとを単純な図式にはめ込んだりしない。あるがまま、行くがままに事態を高い解像度で描き出し、そこに機微としか言いようのない微妙な心の動きを織り込んで見せる。

 

島の対岸でいつまでも続く遠い世界の内戦が象徴するように、この種の諍いは終わりなく続く。農民が最後に昏く疲れたような表情で言い放ったのはそういうことだ。異なる文化的背景をもつ人々の間で、感情のもつれから起きる紛争を抱える我々の世界の、全き縮図がここにある。

教養人が片手の指をすべて失ったように、現実の我々もおそらく無傷ではすまないのだろう。そうなってもなお、本作の登場人物のように、それを厳しいまなざしで黙って受け入れられるだろうか。

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