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2022.10.23

「アフター・ヤン」

人間とAIの関わり方についてはこれまで様々なイメージが提起されているだろう。「エクス・マキナ」では身体を得たAIが自律を求めて人が作った檻から逃れる過程で邪魔な人間を暴力的に排除する様が描かれた。「her」では身体を持たないAIがより高次な存在に移行していく過程で普通の人間をまるで数あるサービスの一つ程度にしか捉えていないことが暴露され人間の自尊感情に深い傷を残した。
 
かくのごとく、このカテゴリの作品は人とAIの関わりをどちらかというとネガティブに、あるいは所詮交わらない別種のものとして冷たく描く結論に至っていたのに対して、本作はそれを、温かさを持つものとして描いて、成功しているのが特徴的だ。
 
本作では、「テクノ」と呼ばれる身体を持ったAIや、それとは別種のクローンなどが、人や外界との関わり方を情緒的に示していく様が描かれていく。
 
AIの温もりを描くために、いろいろな演出が凝らされている。お話の中心にいる「文化テクノ」のヤンが、機能を停止するところから始まって、彼を蘇生させようと人間が奔走するという設定がそうだし、その過程でこの文化テクノが実は感情を持ち、買われていった家庭との思い出深いシーンを数秒づつ記録していたことがわかるという筋書きもそうだ。秘められたその記録を見て、ヤンと同じ時間を過ごしてきた人間が懐かしさに涙するところはじんわりくる。人につくられた者である彼も、人が生きてきた時間の一部だったのだ。この映像記録が24時間容量無制限ではなく、1日数秒だけに制限されていることで、一度しかないその瞬間を選んだAIの豊かな感性が露わになる。人間固有のものと思われてきたこうした感傷を、AIもまた持つことができると思わせる。
 
そして、そのようなシーンが、この家族のものだけでなく、過去のいくつもの家族との関わりにおいても同じように記録、いや記憶されていることが判明するに至って、AIが人間の世界を、人がそうするのと同じように個別具体のかけがえのないものとして捉えていた可能性に思い至る。「her」のAIとは明らかに違う振る舞いで、AIが外界を機械的にモデル化して捉えているだろうというこれまでの常識を打ち破ってくる。
 
ところどころに挿入される、いかにもAIらしい、あるいはクローンらしい違和感を感じさせるちょっとした動作も、物語の本筋を効果的に補強している。人間とは明らかに違うものとしての側面をも描くことで、そのような存在でも人と共通した感情を持つことが可能だということを暗に言っているかのようだ。
 
本作の製作に参加している坂本龍一で思い出すのはテクノ音楽だが、YMOから数十年経って、人に機械の側面を持たせる領域から、機械に人の側面を持たせる領域に到達しつつあることを感じさせる、感慨深い作品でした。
 
とはいえ、たいへんゆったりした時間の流れの中で、微妙な機微をじっくり描いているので、倍速鑑賞などに慣れた人には耐えられないかもしれません。観る人を選ぶ作品といえるでしょう。

 

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