「LAMB/ラム」
映画作品を陽気と陰気に分けるとしたら、本作は明らかに陰気な方に入る。アイスランドという舞台設定、映像から読み取れるやせた土地、少ない日差し、過酷な自然環境。そういったものの中で細々と生きる人間の感性は、温帯モンスーンに生きる我々とは異なるようだ。
さらに、お話の中心にいる夫婦の生き方が、人間世界からかなり距離がある。こんな世界では常識というものがずれてきて、かつ、それに無自覚なのもむべなるかなと思えてくる。おそらく、実の娘が死んだとき、夫婦の魂もまた死んだのだ。だが有機物の体は生きており、二人には己の死の自覚が無い。
途中から登場する夫の弟は、そんな歪んだ世界に人間の普通の常識という視点を持ち込んで、この結界の異常さを浮き彫りにするのだが、それもしばらくすると取り込まれてしまう。
あまりに異常な世界だが、裏を返せば、人間世界からの隔絶がこの異様な子育てを成り立たせていたともいえる。人からの干渉がないというだけではない。より重要なのは、人ならざる世界からも、いっときは静観されていたということだ。人の結界の外にいる者の存在は、作中早くから微かに暗示されているにも関わらず、それがあからさまに干渉してくることはなかった。
人の世界と、人ならざるものの世界。その狭間にはまり込んだかのようなささやかな結界の中で、両世界の落とし子を育てる試みが進行する。そこには生きとし生けるものの子育てに共通した、明るさや希望、おそれや不安が入り混じっていた。我が子を守り引き留めるためなら手を血で汚すことも厭わない親の姿もあった。人であるなしを問わず、子育てとはそういうものだという世界観が示される。この小さな世界は、夫がいみじくも言ったとおり、子育ての幸福感で満たされていた。
それが壊れるのは、彼らが人間臭さを発露し始めたときだ。それまで、文明とのつながりといえばラジオしかなかった世界に、突然、テレビでハンドボールの試合を観戦するシーンが現れる。酒を飲んで踊ったり大声を上げたり、それまで仙人の世界の趣だった舞台が、急に俗界の色を帯びてくる。さらにまた、人間として生きるためにいかに自然を利用するか、その知恵を親が子に教え始める。
その途端だ。人外の世界から暴力的な制止が起きるのは。物語は唐突に悲劇的な最後を迎えることになる。薄暮の世界は、子が人間の側に行くことを許さなかった。人外はやはり人外のままであるべきだと、向こうの存在は思ったのだろうか。
かくして、いっとき子育ての光と影を共有した両世界は、再び二つに分かれ、あやういバランスを保ってきた幸福な結界は、もの悲しさを残して泡と消えることになった。
とまあ、この物語を自分なりに再構成してみると、そういう風に見ることもできる、といったところです。観終わった当初は、どうもいまひとつの作品に思えましたが、人にも動物にも共通する子育てというものに焦点を当てると、興味深い見方ができると思います。
あまり一般向けの作品ではないので、お勧めはしません。