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2022.09.18

「靴ひものロンド」

結婚生活とは牢獄である、とは自虐的によく言われることだが、本作はそれを下地に意識しつつ、なぜ男も女もその地獄へと還っていくのか、という問いを含んでいるように思える。
 
トロフィーワイフという言葉が表すものはこの地獄と対になる概念だろうか。本作にもそういう風な存在があって、なるほど男が惹かれるのも無理もないと思わせる。父だけでなく娘でさえ、輝くような若く美しく聡明な女に子ども心にも惹かれるのだから、無理もない。
 
ただ、新しい女に惹かれる理由がそれだけではない戸惑いをうまく言葉にできず、この放送作家で言語化には長けているはずの男は、妻に対して正直に全身で訴えている。
 
単に目先の変化がほしかった。
 
口にはしないが、そういうことかもしれない。そんなありきたりの理由で人生の重大事をと思うと口ごもるのだろうけれど、たぶんそういうものだろう。女房と畳は新しい方がいいと昔の人は言ったではないか。今言うと炎上案件だが、実は妻の方も似たようなものだったと、後に成人した子どもたちの口から明かされてもいる。
 
さて、男はいっときは夢のような時間を別の女と過ごすのだが、何か違う、ということになる。何がどう違うのかをこの男はやはりうまく言語化できない。できれば誰しも苦労はしない。
 
ここが、本作の焦点だ。なぜ人は、地獄と自嘲するような環境に戻っていきたがるのか。
 
どの家庭にも、長い時間を共に過ごしたことで生まれる固有の習慣やしぐさ、立ち居振る舞い、言い回しなどがある。それらは同じ原風景を持ち同じ文化を共有している者どうしが交わす、よそ者にはわからない高度なコミュニケーションなのだ。人間のように高度に知的で文化的な存在は、それ無くしてはおそらく満足のいく生き方はできない。馴染みの文化とは、空気のように存在感がなく、同時に空気のように必須のものなのだ。
 
靴ひもの結び方は、この家族に固有の文化だった。他の誰とも似ていない、彼らだけが共有できる拠り所なのだ。あまりに何気ないので普段は気付かないが、他者との違いがいったん意識されると、そのかけがえのなさに気づく。そういうものなのだ。
 
こうして男は元の鞘に戻っていく。そしてまた、息詰まるような日常に辟易し怒ることもできない自分に愚痴をこぼし妻の冷ややかな態度に屈折しつつ適度な諦めを抱えて生きていくのだ。
 
人の一生に幸あれ。

 

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