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2022.08.28

「NOPE/ノープ」

ジョーダン・ピールの怖さ表現は独特だ。それがあるので迷うことなく毎度見に行ってしまう。といっても「ゲット・アウト」と「アス」だけだが。お話を楽しむというよりは、怖がらせ方を見に行く感じ。お話自体は意外なところはあっても取り立てて特徴があるわけでもなかった。これまでは。
 
でも本作は、前半はいつもどおりなのだが、後半は少し発展的な展開を見せている。立ち向かう話だ。何にってもちろん恐怖に、だ。
恐怖は今回は外部化された具体的なものになっている。だから勝利条件を定め敵の弱点を知り作戦を立てて実行する余地がある。仲間もいる。さほど怖くはない。必要なのは知恵と勇気だ。
 
だが作戦は失敗する。知恵も勇気も潰え去った。あとはただ恐怖にかられて遁走するのみ。そのさなかに意識せずに立ち現れるのは肉親への愛と自己犠牲の精神だ。実に崇高ですな。
そして締めくくりは、破れかぶれの思いつきで放った奇手で恐怖の源を爆散させ勝利の雄叫びを上げるカタルシス。めでたしめでたし。
 
これを黒人の主人公たちにやらせるのが、この監督の独特なセンスだと思う。まるで、虐げられ成功への道を閉ざされ日々謂れのない恐怖に怯える彼ら黒人たちに、立ち向かえ、雄叫びを上げろ、仲間のために自分を捧げろ、と励ましているようにも見えると言ったらうがち過ぎだろうか。
 
実は、そう受け止めるに足る仕掛けが、本作にはある。10数年前にトラブルを起こした猿のエピソードがそれだ。なにせ冒頭にいきなり出てきて、見ている方は面食らうのだ。その後も何度も挿入されてくる。
 
これの意味が、観ているあいだはよくわからなかったのだが、観終わって考えをまとめていると、あれはまさに黒人たちが置かれている状況の暗喩ではないかと思えてくる。米国社会の主流派の思想に従わされ、彼らが喜ぶことをするよう圧力をかけられ、ぎりぎりの精神状態に追い込まれている哀れな猿たち。ちょっとした切っ掛けで爆発し暴走しかねない。一度暴走すれば、弁解や和解の機会も与えられずただ害獣として銃殺駆除されるしかない。そういうことを暗示しているのではないか。
 
ジョーダン・ピールのこれまでの作品にも共通するテーマだ。現状を変えることなど到底無理だと力なく首を横に振り"NOPE"とつぶやく彼らの思いを受けて、本作が構想されたのではないか。
 
そうして改めて思い起こすと、恐怖が空の上、雲の中に隠れて我々を監視しているとか、上を見るな、目を合わせるなとか諸々が、伝えられる実情そのままでかなりヤバイ。
 
てなことを勝手に考えてみるわけです。
 
まあそれはそれとして、主人公の真っ黒い肌と血走った白い目が相変わらず怖いのがよいです。それに加えて今回は、帽子の被り方もどこか変で、さらに怖さが増していました。恐怖映画として見るなら、そういうところに注目してもいいかもしれません。

 

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