「ベイビー・ブローカー」
この監督の作品はいつも家族をテーマにしているように思える。それも、普通の家族を描くのではなく、多様な家族の在り方を提示することで、家族なるものの本質を追い求めているような作品ばかりだ。「だれも知らない」では大人がいないユートピアだがそれゆえに持続できない家族。「海街ダイアリー」は父権的存在がいない形の家族。「海よりもまだ深く」は婚姻制度上は壊れたもののなんとなく繋がり続けている腐れ縁的な面白家族。「万引き家族」ではついにタイトルに〝家族〟が登場。生みの親と育ての親を比較して、共生の体験が家族を成立させる不可欠な要素であることを描いた。(「そして父になる」を見逃したのが残念。)
本作では、育ての親にまだなっていない人々が、捨てられた赤ん坊を抱えてその将来を案じつつ北に南に奔走するなかで、次第に疑似家族のような感覚が育っていくのを描いている。その疑似家族のメンバーが大人から子どもまで多彩であるところが、本作の深い味わいを引き出している。過去のよくわからない中年の男、赤ん坊と同じ捨て子で施設で育った若い男、同じく施設の少年、そして、驚くべきことに、生みの親たる若い女。この4人が赤ん坊を中にして、互いの過去を少しづつ理解しながら、微妙な綾のやりとりを経て絆を深めていく。中盤の列車の中で、赤ん坊が本当の弟だったらいいのにと施設の少年が口にする所が、この疑似家族の到達点だ。本当に見事に組み立てられた感動的な山場になっていて、思わずほろりと泣ける。並走するように彼らを追う女性刑事の思考の変遷もたいへん効果的。
「万引き家族」では、情に薄い生みの親を定型的に短く描き、育ての親との違いを際立たせて家族の本質を浮き彫りにしたが、本作では、今度は生みの親の深い愛情と屈折した発露を手間暇をかけてじっくり描いている。物語の中では、この実の母親の心情は霧に包まれていて、何度か問いかけはあるものの、そのたびにやんわりと拒絶される。その深い想いが言葉となって形を成すのは、旅の最後の道行きで中年の男が言い当てたとき。本作の静かなクライマックスだ。我々はとうとうこの女を真に理解し、深い感銘を覚える。はじめから説明してしまってはそれこそ定型でしかないところを、紆余曲折の果てに熟考を経た言葉として結実させる。その巧みな物語の手続きが、観客を感動にいざなう。
毎度のことなのだが、この監督の丁寧な対話による物語の進め方、微妙な心の裡を扱う匙加減は絶妙です。
今回もまた、傑作というものを見せてもらいました。