「やがて海へと届く」
「わたしは光をにぎっている」が印象に残っていたので、同じ監督の作品ということで見に行ってみた。といっても、今度は原作小説があるらしい。
とても日本的な作品だと思ったが、その理由は、本作が日本人の気質に長い間影響し続けているものを扱っているからだ。
最初、これは都会のストレスに押しつぶされるような死についての話なのかと思った。続いて、いやこれは死によって美化されたロマンシスかとも思った。そして最後はストレートに、記録映像的に明かされるのが、11年前の津波の話だ。
我々日本人は、自然災害とずっと共存してきた。それに伴う避けられない突然の別れと共に。
本作の主人公の親友は、旅先で津波にさらわれ、ある日突然、主人公の生活から姿を消した。その別離を飲み込み、ひとつの境地に至るまでがこの映画の筋書きだ。
ちょうど今、地球の裏側で兄弟喧嘩のような紛争が起きている。陸続きで国々が興っては滅びていく土地柄では、人の死は同じ人間によってもたらされることが多かっただろう。それと比べて我々の死のイメージは、どちらかといえば自然災害による比重が大きいのではないか。
作中に、話の筋とは一見関係の薄そうなもうひとつの死のエピソードが出てくる。主人公の勤務先の上司のそれだ。おそらく人間関係の軋轢の結果だったろうもうひとつの死が、自然災害による死と対置されていることで、本作のテーマはよりはっきりする。
と、このように異なる死の理由を対比すれば、一見、話は整理され明快になったように聞こえるが、実はそうでもない。
作り手は、死に至るそれぞれの当事者の日常を、丁寧に情感を込めて描いている。この人がなぜ理不尽に死なねばならなかったのか納得がいかないと思わせるほどに。まるで安易な理屈を振り回して作品を理知的に分類整理するのを拒むかのようだ。
分析的な見方の代わりに、ストーリーが進むにつれて立ち現れてくるのは、我々日本人の死生観と呼ぶほかない感情だ。残された者は憤りを向ける先もなく、ただひたすら、親しかった人の死を受け入れ、少しづつ傷が癒されていくのを辛抱強く待つしかない。その苦しさを解呪してひとつの悟りに至ることを、我々は長い時間の中で身に着けてきたのではなかったか。
本作はそのことを、手順をあやまたずじっくりと時間をかけて、一人の主人公の中に再現して見せてくれる。
たいへん日本的な情感のある、見せ方に優れた良作でした。
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