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2022.04.10

「TITANE チタン」

歯ごたえのある作品。
二つの軸の取り方を想定してみたい。

ひとつは、道具を発明して使いこなしていく人間というものの雑種性。
もうひとつは、反抗と和解を経て止揚に至る、これまた人間というものの柔軟性。

たぶん、縦糸と横糸の両方を感じながら、展開していくシーンを追うのがいいのだろう。本作におけるチタンは、生身の人間に対する無機質な道具の意味と、社会に対する反抗あるいはそれに対する罰の意味とを兼ねている。それは人間が生み出す何か新しいものと不可分な、痛みの感覚を伴っている。

以下、とりとめなく書いてみる。

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類人猿の時代から、人間は道具を発明して自分の能力を拡張してきた。はじめは植物や動物、土や石を使い、精錬を覚えてからは金属が登場する。チタンというのは中でも近現代に属する最高に硬質なもののひとつだろう。裏返せば、有機物の生身の人間とは最も相性が悪い。

その馴染まないものに自分を合わせながら、人間は進歩してきた、当然そこには痛みがある。本作のあらゆる場面に感じられる痛みの感覚がそれだ。人間という業の深い生き物が進歩の影の部分に抱えざるを得ない痛みが、本作には生みの苦しみの形で生々しく描かれている。

* * *

おそらく類人猿の時代から、人々は社会を形成して闘争に明け暮れてきた。複雑な社会を構築して物質的な生に必要な食料やエネルギーを安定的に得ることで、我々は他の生物を圧倒する生存圏を確立してきたのだが、同時に、社会の中、人間どうしの間での様々な軋轢をも抱えることになった。単純に相手を打ち倒せば済む話ではない。社会を維持することは生存の必須条件だから、それを決定的には壊さない範囲で闘争する必要がある。

本作の前半では、主人公が簡単に人を殺すことを通して、人間の動物としての単純さを描いておいてから、後半では、その反社会性を意識させ、次第に社会と折り合う様を描いている。その変化をもたらすものは、隣人どうしの信頼と愛。けれども、影響を及ぼし合う隣人もまた、サイコパスな主人公に匹敵する闇を抱えている。そうでなければこの主人公とそもそも関わり合うことさえできないだろう。これを簡単に包容力などと言うことは断じてできない。毒をもって毒を制するがごとき凄まじさがここにはある。

* * *

この縦糸と横糸はどう結び付くだろうか。道具は、持続的につくるにも運用するにも、支える制度社会が必要だ。道具が高機能・大規模になり、場合によっては物理的でなく情報的・仮想的にすらなってくるに従って、制度と道具の関係は強く複雑になってくる。何かの変化が思わぬ波紋を呼び、もはや整理することさえ難しい。我々はそういうがんじがらめの社会の中で生を享けて活動し死んでいく。我々自体がまるで道具と化しているかのようだ。


結局のところ、この作品は、人の業の深さを描いているように見える。それは、連綿と受け継がれてきたはずだし、当然これからも続いていくものなのだ。最後のシーンの赤子の衝撃的な有様は、そのことをよく表している。

恐ろしいけれども納得感のある、心の奥底から何かを引きずり出すような映画でした。

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