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April 2022

2022.04.30

「Coda コーダ あいのうた」

評判通りの良作。
可能性ある若者が才能を生かせる道に進もうとするも、周囲の無理解や、やむにやまれぬ事情で諦めそうになるところを、支援者の働きや本人の努力で、最後は行く道の切符を獲得するという黄金パターン。

見慣れたストーリーだが、この父、母、兄、師、そして本人のキャラクタがとてもよい。それが全てといってもいい。基本的に陽性なのだ。

加えて、本人に歌の才能があるにも関わらず、家族は皆耳が聞こえないという、あざといほどの無理解の設定が効いている。それが小さな町のコンサートで観衆の反応を目の当たりにして誤解が解ける様子が感動的。無音のシークエンスの挿入も上手い。

そして作中の歌の力。

言うことありませんね。
後味のよい、素晴らしい作品でした。

エンドクレジットで流れる歌がまたすごく内容にマッチしていて最高。

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2022.04.29

「カモン カモン」

これは・・たぶん自分的には今年最高の映画になりそうだ。
何度か見てみないと、これの真価は定まらない。1回見ただけのとりあえずの感想をとりとめなく書いて置いておく。


普通、商業映画には作り手と受け手のあいだにある程度暗黙に了解した線があって、そこからの距離の取り方で傑作凡作奇作問題作の違いが生まれると思う。

本作は、そういう暗黙の了解、つくりものである映画というものを成立させる作者と観客の共犯関係から逃れ、自由な振る舞いを見せていると思うのだ。

作中で、街の音を拾いながら叔父が言う「平凡なものをテープに定着させて特別なものにするって素晴らしい」というような趣旨の台詞がある。これが、本作全体を象徴する部分であり、私が本作を最高だと思う所以でもある。

何かを意図していない。
ただ、何かをそのまま提示している。

* * *

平凡さを表現する手法はもちろんいろいろあるだろう。けれども大抵の作品では、それは平凡を装っているにすぎない。平凡であることを見せることによって別の何かを表現しようという意図がいつも隠されている。それが、普通は映画というものを作る者と見る者とが共有する作法だろうと思う。

ところが本作は、平凡さをまるごと投げつけてくる。平凡そのものを描いて見せている。物語の中心にいる9歳の甥の行動が、その剥き出しの平凡さをつくっている。

実際、これほど当たり前で生の感じがする9歳を、これまで映画作品の中で見たことがあっただろうか。何の飾りもてらいもない。本当にそこに居そうな感じがする。

例えば街中を見回せば、意味のない雄叫びを上げてスーパーで買い物中の母親にぶつかっていく小さい子とか、何か振り回しながらその辺を意味なく練り歩く子とか、そういう、まだ制御されない剥き出しのエネルギー、平凡だが刮目すべきものを毎日目にしている。それに付き合ってへとへとになりながら困惑する大人、あるいはエネルギーを貰って幸せそうな大人たちとが対になって、何の変哲もない日常の街の風景をかたちづくっている。それをそのまま、加工せずに取り出したような感じがするのが本作だ。

言葉が多いのも本作の際立った特徴だ。様々な街での子供たちへのインタビューの声の挿入と、街から街へ移動しながらその仕事を続ける叔父と甥、大人と子ども、人と人との会話や行動が、折り重なって圧倒してくる。ストーリーを作る目的の、為にする挿入ではなく、ただただそれらが日常の平凡さそのものであるような構成。

その平凡さの連続の中に、大人と子供の関わりや喜怒哀楽、その移ろいを微妙に織り込んでいるのが、本作のまことに優れているところだ。ストーリーを作って、その中に感情や主張を埋め込むのではない。感じたそのままを塊として提示してくる。

こういう作品はなかなか無い。得難い体験でした。

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2022.04.24

「ミューン 月の守護者の伝説」

素晴らしいイマジネーションと造形。
定型のようでありながら独自性を感じさせるストーリー展開。

昼と夜とその中間を表すユニークなキャラクタ。それぞれの特質と役割の振り方もいい。夜の方が複雑で繊細で物語の主軸を成しているが、昼の方の絶対的な力も不可欠だ。

そして、中間を表す存在。このキャラクタの、一見役にも立たないように見える在り方と、運命的で悲劇的な役回りがとてもいい。このおかげで、作品は単純な二元論的世界に陥ることなく物語の独自性が生まれている。

作り手の才能を強く感じさせる良作でした。アレクサンドル・ヘボヤン。。覚えやすいなヘボヤン。

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2022.04.20

「パシフィックリム 暗黒の大陸 シーズン2」

NETFLIX シーズン2全7話

シーズン1に続く完結編。煮え切らないところはあったけど、まあ外伝的位置づけだし仕方がない。この世界の面白さは、怪獣の不可知性、予測不能性にあるから、そこを取り上げようとした野心はよかったけど、外伝であるがゆえの制約もあっただろうと思う。本編より先に謎を解明するわけにはいかないだろう。

シスターズというのはその穴を埋める仕掛けと取れなくもないけど、これも謎は謎のままで教祖もろとも壊滅して、目出度いとはいえ残念感も残る。ボウヤなどのハイブリッド開発計画にまつわるすべて含め、中途半端で終わってしまった。

その中で、この暗黒大陸を人間の組織力と知恵で生き抜いていたシェーンとメイの物語の方が、終盤にかけて良かったのが救いだろうか。

イェーガーとかいじゅうの巨大感はアニメだともうひとつだった。そこはゴジラSPに及ばない。

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2022.04.17

「パーフェクト・ケア」

これもギンレイホールで。

ケア産業の法律と制度の悪用、という言葉がぴったりくる。他人を食い物にしてのしあがるとはこういうことかと戦慄する。もちろん、実際には様々な歯止めがあって、そううまくはいかないのだろうけれど。

餌食になるのが一般人のうちはよかったが、ロシア・マフィアの身内を嵌めてしまったことから逆襲をくらう。勧善懲悪的な見方からは快感だが、なんと話はそこで終わらない。主人公の女の怪物ぶりがめりめりと音を立てて現れてくる感じ。驚きました。

逆にマフィアの親玉に見込まれて資金提供を受け、そこからは絵に描いたような成功物語。その絶頂で、報いを受ける。

勧善懲悪から因果応報の物語へ。伏線は最初から張られていた。やっぱり悪いことはいつか破綻するものだという、なんだか教訓的な結末に落ち着いた。

「ゴーン・ガール」のロザムンド・パイク、またまた真価を発揮しました。こういう役柄がはまり役なのかもしれません。

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「皮膚を売った男」

見逃した名作を上映してくれるギンレイホールに感謝。


ラディカルな美術家の誘いに乗って、背中にシェンゲンビザの入れ墨を彫って自分を美術品という商品に仕立て、生まれ故郷シリアの紛争地帯から脱出しEUへ移住を果たす男の話。

皮膚を売る話は実話だそうだが、紛争地帯をそれで脱出するなどということは実際にはできないから、そういう仮定を置いたうえで起きる現象を通して、人の尊厳や自由について描く。

どんな非人間的な扱いが描写されるのかと思ったら、そういうことはなく、報酬待遇も十分で不満など漏らしようもない。むしろ、荘厳な雰囲気を湛える展示スペースの生ける彫刻として知られるようになる。

美術家がいう、現代においては人間よりも商品の方が移動の自由があるのだ、というコンセプトは、なかなか刺さるものがある。虚構としての本作のリアリティの源でもある。

とはいえ、見世物として連れてこられたという受け止め方も当然ある。シリアからの亡命者の団体からは、シリア人に対する侮辱だとの誹りを受ける。本人にもその葛藤はもちろんあるが、同時に、同国人にも関わらず亡命できるような地位や財力のある人間に反発も覚える。現代の我々が抱える格差や断絶のありようは、単純ではないことが示される。


美術館、金持ちコレクターの邸宅と場所を移していくが、美術品としての宿命で、オークションに掛けられることになる。無事高値で落札されたあとのこと、会場でやおら仁王立ちになり、スエットパンツの紐を引き絞って咆哮を上げる。すわ自爆テロかと勘違いした会場の身なりの良い金持ちや代理人たちが慌てふためいて逃げ散る様は爆笑ものだが、同じく勘違いしてこのシーンの意味を理解できてしまった自分も、彼らと同じだと気づいたりもする。シリア人、紛争と爆弾、招かれざる者、そういった差別感情は、事実に立脚した当然の警戒心の表れだから仕方がない。ポリティカルコレクトネスとの折り合いの悪さを噛みしめる。

この事件の結果、彼はEU域外退去ということになるのだが、選んだ行先は生まれ故郷シリアの首都ラッカ。過激派が支配する地域。母や姉を残してきた地に、幼馴染みの恋人と一緒に帰ることが、彼の自由を求める旅の終着点だった。まるで幸せの青い鳥の童話のように。

かくして、物語は収まりよく終わる、と思いきや、その直後に衝撃的な映像が流れて、予定調和に安心しきっていたこちらの安逸をぶった切ってくれる。そして、その収め方もまたお見事。自由とは、の問をさらに深く掘り下げてくれます。


根底にある種の品の良さとユーモアを湛えながら、現実と理想の葛藤や、その落としどころ、人々の知恵ある行動、若者の成長などを、笑いを交えながら、筋の通った脚本とよく考えられたディテール、役者の絶妙な演技の変化に乗せて見せてくれる、たいへん良質な映画でした。

監督はカウテール・ベン・ハニアさん。アラブの春の起点となったチェニジアの人だそうです。

なお、本作の優れた評として以下を挙げておきます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/712397cf20e94076b95d824223f3e1d258340a60

 

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2022.04.11

「RETURN TO SPACE」

NETFLIXで。

スペースXのロケットファルコン9と有人宇宙船ドラゴンがISSに宇宙飛行士を送り地上に生還するまでのドキュメンタリー。

アメリカ人にはやっぱり凄い奴がいるな。夢みたいな目標を立てて、試行錯誤を繰り返して、実現してしまう。それもたった18年で。いや長い18年か。この先も、月面への有人飛行、それから火星へと着々と進んでいくのだろう。

一度はやったことなのだから簡単だろうと思うのは、たぶん勘違いだ。作品中でイーロン・マスクが「ピラミッドの作り方を人類は忘れた。ローマの水道もだ」と言うくだりがある。宇宙ロケットのような複雑で巨大なものであればなおさらだろう。

費用などの問題で袋小路に入って終了した過去のプロジェクトから学びつつ、新しい時代の新たなコンセプト、新たな技術で一から作り直すことには、大きな意義があったはずだ。巨大になり過ぎたプログラムをスクラッチからコンパクトに書き直すようなものだろうか。

NASAは書類で問題解決するが、spaceXはテストと失敗を繰り返すという。壊れる程追い込んでこそ問題を理解できるという信条にはおおいに共感できる。彼、イーロン・マスクはまた、火星に人間が住むことも考えているようだ。SFやファンタジーの話ではなく、現実の話として。


作品の終わりに、宇宙飛行士たちが生還して記者会見をするシーンがあるのだが。その簡素な様子にも驚かされる。NASAが関わっているとはいえ、国をあげてのプロジェクトではない、民間の力でやっていることが如実に表れている。そのことも好感が持てる。

本当に新しい時代がすぐそこまで来ていると思えてきます。

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2022.04.10

「TITANE チタン」

歯ごたえのある作品。
二つの軸の取り方を想定してみたい。

ひとつは、道具を発明して使いこなしていく人間というものの雑種性。
もうひとつは、反抗と和解を経て止揚に至る、これまた人間というものの柔軟性。

たぶん、縦糸と横糸の両方を感じながら、展開していくシーンを追うのがいいのだろう。本作におけるチタンは、生身の人間に対する無機質な道具の意味と、社会に対する反抗あるいはそれに対する罰の意味とを兼ねている。それは人間が生み出す何か新しいものと不可分な、痛みの感覚を伴っている。

以下、とりとめなく書いてみる。

* * *

類人猿の時代から、人間は道具を発明して自分の能力を拡張してきた。はじめは植物や動物、土や石を使い、精錬を覚えてからは金属が登場する。チタンというのは中でも近現代に属する最高に硬質なもののひとつだろう。裏返せば、有機物の生身の人間とは最も相性が悪い。

その馴染まないものに自分を合わせながら、人間は進歩してきた、当然そこには痛みがある。本作のあらゆる場面に感じられる痛みの感覚がそれだ。人間という業の深い生き物が進歩の影の部分に抱えざるを得ない痛みが、本作には生みの苦しみの形で生々しく描かれている。

* * *

おそらく類人猿の時代から、人々は社会を形成して闘争に明け暮れてきた。複雑な社会を構築して物質的な生に必要な食料やエネルギーを安定的に得ることで、我々は他の生物を圧倒する生存圏を確立してきたのだが、同時に、社会の中、人間どうしの間での様々な軋轢をも抱えることになった。単純に相手を打ち倒せば済む話ではない。社会を維持することは生存の必須条件だから、それを決定的には壊さない範囲で闘争する必要がある。

本作の前半では、主人公が簡単に人を殺すことを通して、人間の動物としての単純さを描いておいてから、後半では、その反社会性を意識させ、次第に社会と折り合う様を描いている。その変化をもたらすものは、隣人どうしの信頼と愛。けれども、影響を及ぼし合う隣人もまた、サイコパスな主人公に匹敵する闇を抱えている。そうでなければこの主人公とそもそも関わり合うことさえできないだろう。これを簡単に包容力などと言うことは断じてできない。毒をもって毒を制するがごとき凄まじさがここにはある。

* * *

この縦糸と横糸はどう結び付くだろうか。道具は、持続的につくるにも運用するにも、支える制度社会が必要だ。道具が高機能・大規模になり、場合によっては物理的でなく情報的・仮想的にすらなってくるに従って、制度と道具の関係は強く複雑になってくる。何かの変化が思わぬ波紋を呼び、もはや整理することさえ難しい。我々はそういうがんじがらめの社会の中で生を享けて活動し死んでいく。我々自体がまるで道具と化しているかのようだ。


結局のところ、この作品は、人の業の深さを描いているように見える。それは、連綿と受け継がれてきたはずだし、当然これからも続いていくものなのだ。最後のシーンの赤子の衝撃的な有様は、そのことをよく表している。

恐ろしいけれども納得感のある、心の奥底から何かを引きずり出すような映画でした。

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2022.04.09

「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」

かわいい魔法動物たちの活躍を見に行ったはずなのに、ジュード・ロウとマッツ・ミケルセンのおっさんずラブをたっぷり見せられた感じです。まあ、ダンディでかっこよかったからいいんだけど。

おっさん達にも若者時代があり、恋も友情も葛藤も闘争もあったという考えてみれば当たり前のことを、この作品はきちんと捉えています。そのうえで、表に出る華々しい活動は若者たちに譲り、おっさんになった自分たちはもっと深いところで闘っている。そんな印象を与えます。

話の流れはあまり秩序だっているとはいえず混乱気味です。未来が読める悪の魔法使いを混乱させるのが目的の行動なので、一種の陽動でしょうか。その間、切り札の魔法動物の子供は目的通り温存されるということだけで乗り切ってしまっています。
実際そのとおりで、登場人物たちの行動に意味を見出そうとすると見ている方もわけがわからなくなりますが、気にせず魔法合戦を楽しむのがよいでしょう。

派手な立ち回りも十分あってよかったんじゃないでしょうか。

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2022.04.03

「やがて海へと届く」

「わたしは光をにぎっている」が印象に残っていたので、同じ監督の作品ということで見に行ってみた。といっても、今度は原作小説があるらしい。

とても日本的な作品だと思ったが、その理由は、本作が日本人の気質に長い間影響し続けているものを扱っているからだ。

最初、これは都会のストレスに押しつぶされるような死についての話なのかと思った。続いて、いやこれは死によって美化されたロマンシスかとも思った。そして最後はストレートに、記録映像的に明かされるのが、11年前の津波の話だ。


我々日本人は、自然災害とずっと共存してきた。それに伴う避けられない突然の別れと共に。

本作の主人公の親友は、旅先で津波にさらわれ、ある日突然、主人公の生活から姿を消した。その別離を飲み込み、ひとつの境地に至るまでがこの映画の筋書きだ。

ちょうど今、地球の裏側で兄弟喧嘩のような紛争が起きている。陸続きで国々が興っては滅びていく土地柄では、人の死は同じ人間によってもたらされることが多かっただろう。それと比べて我々の死のイメージは、どちらかといえば自然災害による比重が大きいのではないか。

作中に、話の筋とは一見関係の薄そうなもうひとつの死のエピソードが出てくる。主人公の勤務先の上司のそれだ。おそらく人間関係の軋轢の結果だったろうもうひとつの死が、自然災害による死と対置されていることで、本作のテーマはよりはっきりする。


と、このように異なる死の理由を対比すれば、一見、話は整理され明快になったように聞こえるが、実はそうでもない。

作り手は、死に至るそれぞれの当事者の日常を、丁寧に情感を込めて描いている。この人がなぜ理不尽に死なねばならなかったのか納得がいかないと思わせるほどに。まるで安易な理屈を振り回して作品を理知的に分類整理するのを拒むかのようだ。

分析的な見方の代わりに、ストーリーが進むにつれて立ち現れてくるのは、我々日本人の死生観と呼ぶほかない感情だ。残された者は憤りを向ける先もなく、ただひたすら、親しかった人の死を受け入れ、少しづつ傷が癒されていくのを辛抱強く待つしかない。その苦しさを解呪してひとつの悟りに至ることを、我々は長い時間の中で身に着けてきたのではなかったか。

本作はそのことを、手順をあやまたずじっくりと時間をかけて、一人の主人公の中に再現して見せてくれる。

たいへん日本的な情感のある、見せ方に優れた良作でした。

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