見逃した名作を上映してくれるギンレイホールに感謝。
ラディカルな美術家の誘いに乗って、背中にシェンゲンビザの入れ墨を彫って自分を美術品という商品に仕立て、生まれ故郷シリアの紛争地帯から脱出しEUへ移住を果たす男の話。
皮膚を売る話は実話だそうだが、紛争地帯をそれで脱出するなどということは実際にはできないから、そういう仮定を置いたうえで起きる現象を通して、人の尊厳や自由について描く。
どんな非人間的な扱いが描写されるのかと思ったら、そういうことはなく、報酬待遇も十分で不満など漏らしようもない。むしろ、荘厳な雰囲気を湛える展示スペースの生ける彫刻として知られるようになる。
美術家がいう、現代においては人間よりも商品の方が移動の自由があるのだ、というコンセプトは、なかなか刺さるものがある。虚構としての本作のリアリティの源でもある。
とはいえ、見世物として連れてこられたという受け止め方も当然ある。シリアからの亡命者の団体からは、シリア人に対する侮辱だとの誹りを受ける。本人にもその葛藤はもちろんあるが、同時に、同国人にも関わらず亡命できるような地位や財力のある人間に反発も覚える。現代の我々が抱える格差や断絶のありようは、単純ではないことが示される。
美術館、金持ちコレクターの邸宅と場所を移していくが、美術品としての宿命で、オークションに掛けられることになる。無事高値で落札されたあとのこと、会場でやおら仁王立ちになり、スエットパンツの紐を引き絞って咆哮を上げる。すわ自爆テロかと勘違いした会場の身なりの良い金持ちや代理人たちが慌てふためいて逃げ散る様は爆笑ものだが、同じく勘違いしてこのシーンの意味を理解できてしまった自分も、彼らと同じだと気づいたりもする。シリア人、紛争と爆弾、招かれざる者、そういった差別感情は、事実に立脚した当然の警戒心の表れだから仕方がない。ポリティカルコレクトネスとの折り合いの悪さを噛みしめる。
この事件の結果、彼はEU域外退去ということになるのだが、選んだ行先は生まれ故郷シリアの首都ラッカ。過激派が支配する地域。母や姉を残してきた地に、幼馴染みの恋人と一緒に帰ることが、彼の自由を求める旅の終着点だった。まるで幸せの青い鳥の童話のように。
かくして、物語は収まりよく終わる、と思いきや、その直後に衝撃的な映像が流れて、予定調和に安心しきっていたこちらの安逸をぶった切ってくれる。そして、その収め方もまたお見事。自由とは、の問をさらに深く掘り下げてくれます。
根底にある種の品の良さとユーモアを湛えながら、現実と理想の葛藤や、その落としどころ、人々の知恵ある行動、若者の成長などを、笑いを交えながら、筋の通った脚本とよく考えられたディテール、役者の絶妙な演技の変化に乗せて見せてくれる、たいへん良質な映画でした。
監督はカウテール・ベン・ハニアさん。アラブの春の起点となったチェニジアの人だそうです。
なお、本作の優れた評として以下を挙げておきます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/712397cf20e94076b95d824223f3e1d258340a60