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March 2022

2022.03.31

「令嬢アンナの真実」

NETFLIX シーズン1全9話。

2014年から数年間NYで活動し、2017年に逮捕され、2019年から服役し2021年に出所、ということで、ごく最近の実話が元になっているらしい。本作は話をドラマティックにするためにかなりの演出、脚色が入っていて実像とは異なるということは押さえておく必要はある。

その上で、本作が描き出す詐欺師の主人公とその被害者たちの像は興味深く、いろいろ考えさせられるところはある。まあ詐欺というよりは、むしろ詐欺とたかりが入り混じっているのだが。

ここで騙される人というのはパリピが多い。華やかで虚ろな像と戯れることが自己を確認する手段になっている。そこでは事実の検証や確認よりも、社会的地位のあるメンバーシップの輪に相手が入っているかどうかが判断基準になる。詐欺師(たかり屋)はそこを突いてくる。

実際、大型案件の金融関係者は騙されないし、小切手詐欺はそもそも制度上の穴があることは承知の上でリスク管理されている。

そういう風に現実的に見ると少し白けるのだが、本作ではこの詐欺師を、資本家から投資を受けるために奔走する、雄大なビジョンと高い教養を持った魅力的な人間として描くことで、面白いドラマに仕立てている。

実際、騙された方は、この自称令嬢をさほど悪く見てはいない。むしろ、野心的な若者を支援してやろうくらいの意識に見える。計画が上首尾に進めば大きな果実を手にすることもできると思っている。これは、いわゆるスタートアップ界隈に似ているかもしれない。9割方はホラか誇大妄想に過ぎないが、1割は本物に「化ける」という世界。WeWorkやTheranosという恰好の事例もある。本作でも似たようなインチキくさい起業家を登場させている。

もしこの主人公が、融資を仰ぐ相手をお堅い金融系ではなくベンチャー系にしていたら、あるいはと思わせなくもない。そういう微妙な線でストーリーを作っているのがうまい。

彼女の失敗の理由は二つ。狙う相手が悪かったことと、どうしても支払が必要なときに小切手詐欺を働かざるを得なかったことだろう。特に後者は、他のパリピ相手のたかりと違って、言い逃れの出来ない真正の犯罪だ。


こう見てくると、本作は華麗な詐欺の技術を楽しむ話に見えてしまうのだが、実は全話を貫くある思想があって、それが本作の価値を高めている。

嘘が次第に露見してきて、交友関係のあったホテルマンに、自分についてくるかどうか誘って断られるシーン。黒人女性のやり手ホテルマンが言う「仕事が要る。これが私の人生なの」に対して、主人公はこう答える。

「生活のための人生ね」

本作の登場人物は、多少の金と地位はあるものの、それを維持するためにハードワークをこなしている人ばかりだ。作り手はそれに対して強烈な疑問を投げかける言葉を主人公に言わせている。

つい最近、こちらのブログ http://blog.tatsuru.com/2022/03/28_0812.html で見かけた「ランティエ」という存在は、まさに主人公が目指す生き方そのものだ。

この思想が根底にあることで、本作は単なる興味本位の対象を脱して、興味深いものになっている。英語の原題"Inventing Anna"が示しているそのものだ。


ランティエを夢見る主人公を、高度なツンデレ演技で見せてくれたジュリア・ガーナーさん、よい仕事でした。コロナ騒動でひと昔前の有名俳優たちが姿を消した後に、若手が次々に芽を出してきているのがとても嬉しいです。

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2022.03.28

「ナイトメア・アリー」

ギレルモ・デル・トロがお行儀よく作ったという感じの作品。

第一部のサーカスの描写のところは、この監督らしさが出ていて割とよい出来。

第二部以降は、らしくない。下賤な出自の主人公が上流社会に食い込もうと詐術を駆使するのだが、鬼気迫るところもなければ妖しさがあふれ出すのでもなく、淡々と進んでしまう。

金持ち権力者の過去の罪とかボディーガードの危険な匂いとかは、もっとおどろおどろしく描ける技術を持っているはずなのに、そうしていない。本作の意図はそこにはないということなのだろう。

この金持ちの「大金を払ったのだからそれに見合うものをよこせ」という強烈な信条は、一種の呪文というか領域展開(笑)というべきもので、主人公の成り上がり願望と騙しの技術を土壇場であっけなく打ち砕く。

まあ、詐術というのはバレてしまえば中身の無い白けたものだ。主人公の成り上がり願望の強さは、この金持ちが経てきた真っ黒な現実の強烈さに遠く及ばなかった。

詐欺師としての半端さは、相棒と思った女博士を迂闊に信用して全てを失うところにも表れている。この女の黒さも相当なもので、主人公はそれにも及ばない。

彼は結局、元の居場所たる場末のサーカスへ転落するように戻ってきた挙句、身の程を悟って嗚咽を漏らす。

嘘や幻想を操って成り上がるには、相応の魂の黒さがなければならないと、作り手はうそぶいているかのようだと言ったら穿ち過ぎだろうか。

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2022.03.21

「ガンパウダー・ミルクシェイク」

久しぶりにつまんないと気持ちよく言い放ってよい映画に出会いました。それもただつまんないだけでなくて、面白くもつまんないのです。

このギャグのような笑えるアクションは何?w 特に、主人公の両手が薬で動かなくなってからのそれは爆笑です。この嗜虐的な状況で、対するはお馬鹿お下劣男三人組、そいつらが下卑た笑いとともに主人公の手が動かなくなるまでをカウントダウンするのです。奴らが手の効かなくなった女主人公にその後ナニをするのか、いやがうえにも期待は高まり想像は掻き立てられます。うひょひょひょひょ。

その鼻の下が伸びきった想像を、あっと言わせるアクションでぶち壊してくれるのがたまりません。こなくそやられてたまるかという女の必死の表情がまた劣情を掻き立ててくれます。至福です。

こういったシークエンスが、なぜこれほど効果的かというと、はっきりしています。主人公のエヴァを演じるカレン・ギランさんのすらりと伸びた肢体、ふくよかな腰、最高のスタイルがわれらの劣情を掻き立てるのです。それ以外に考えられません。かっこいいとかいう気取った表現はここでは不適切で、正しくセクシーと言うべきです。ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのネビュラ役の人なんですねえ。次作ではもっと注目したいです。

インタビュー映像によると、この辺のお色気混じりのギャグのセンスは監督本人実物の日常のセンスらしいので、まあ本物なのかもしれません。

本作の見るべきところはそのくらいですが、もう一つだけ挙げるとすれば、敵のマフィアのボスが、虜にした主人公を前に、自分の娘たちの不可解さ、彼女たちからの疎外感を語る場面です。本当に可笑しくて涙が出ちまいます。そんな男が最初に、自分はフェミニストだと自己紹介するのですから、皮肉がばりばり効いています。これではたった一人の息子を殺された彼が復讐に全てを賭けるのは間違いなく正当です。

このおやじの話を目を逸らしながら聞いている反省と反抗の入り混じった主人公の絶妙なむくれ顔がまたよいです。じわじわ嬲り殺して責任をとらせてやるというオソロシイ内容の話なのに、父親が思春期の娘の非行を叱っているんだけどどうもいまいち反応がわからんみたいな雰囲気になっていて、そのギャップが可笑しくて腹の皮がよじれそうです。で、結局男どもは全員返り討ちになっちまうんですけどね。やっぱりおやじ赦せんという女子パワーにやられて、こんなはずじゃなかったけどどこかで本望かなって思ってる感じ。男ってほんと哀しいです。ちゅどーん。

そういうわけで、仄かな劣情をアクション映画の名のもとにひっそりと楽しみたい貴兄にはたいへんお薦めの一本です。

 

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2022.03.20

「ベルファスト」

今年最高の映画という評に恥じない良作。

GoogleMapsでベルファストの街区を見てみると、映画にでてきたようなテラスハウスの町並みがいまでもたくさんある。面白いのは通りの名前で、ベルリン・ストリートとかクリミア・ストリート、オデッサ・ストリートなど各地の名前を付けられた道が散見される。移民の街なのだろうか。

作品の背景として描かれるカソリックとプロテスタントの宗派対立だが、現在は市の人口をほぼ2分しているようだ。対立の時代を経ていまは穏やかな結びつきを得たのなら幸いと言いたいところだが、つい最近も、移民排斥運動が激化したニュースなどもあり、どうも同胞意識が強すぎる土地柄なのかもしれない。あてずっぽうだが。

気になって検索してみると、こんな記事があった。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021050100404
「北アイルランド「誕生」100年 くすぶる帰属問題―英:英統治維持を望むプロテスタント系と、アイルランド統一を求めるカトリック系の対立が続く北アイルランドの帰属問題は未解決のまま。祝賀ムードとは言い難い雰囲気の中で歴史的節目を迎える。」
これが2021年5月の状況だ。そういえばEU離脱のときもアイルランドとの国境問題で揉めたのだった。その問題を激化させずに曖昧に留め置いているとの記述などもwikipediaには見える。

なんと。

この映画、表面的にはもちろん、困難を抱えながらも心温まる家族と近隣の話と見えるのだが、その実態は、かなり過酷な環境下での話らしいことがわかる。それでこそ、本作の若い家族の決断の重さが実感と共に伝わってくるというものだ。何も調べずに適当な感想を書いてうっかり上滑りするところだった。

実は、これはなにか引っ掛かる気がするから調べた方がよさそうだと思った手掛かりが、映画の最後にある。
若夫婦と同居している年老いた親夫婦が実によい味わいなのだが、その夫の方が病で先立ったあと残された妻が、若夫婦がこの地を捨てていくのを見送ってから、一人でぽつり呟くのだ。言葉自体は、新天地へと旅立つ若夫婦を祝福する内容なのだが、皺深い顔で絞り出すように放つ言葉には、旅立ちの輝かしさとは全く違う、苦い悔恨が感じられるのだった。彼ら若者が出ていかざるを得ないようにしてしまった自分たちの失敗への自責の念なのだろうか。それとも、浮かれた気分の若夫婦への、そんなに世の中甘くないという警句か。あるいは、選択肢を持てる世代への羨望と嫉妬か。

この名場面に、光と影の静かで強い緊張を与えてくれたジュディ・デンチ、一瞬の名演でした。
そこまでずっと焦点を甘めにしておきながら、最後のこの場面で老女の貌をくっきりと映像に刻み込んだ作り手の意図が、見事に実を結びました。

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2022.03.13

「THE BATMAN」

これはいい映画だな、というのが素直な印象です。筋立てが大人向けなだけでなく、関係者の機微が丁寧に繊細に描かれ、それが作品の本筋にいつしか連なっているからです。

そう思ったのは、まだ壮年といっていいアルフレッドと、青臭さが抜けないブルース・ウェインとの関わり方を見たときです。ほんの少しのカットだけでさりげなく深く捉えています。


二人の関係は当初は、若き当主と先代からの忠実な執事の域を出ません。この若者は執事を使用人としてしか見ていないことが台詞から読み取れます。ところが、カフスのちょっとしたやりとりで、先代がどれほど深くこの執事を信頼し、準家族として接していたかがさりげなく示され、当主の心を揺らします。そして、姿の見えない敵との頭脳戦のさなかに、当主の行動の甘さから、執事が瀕死の重傷を負ってしまいます。病院で、だれか知らせなければいけない家族はいるか聞かれ、若者は答えに詰まります。

そうした変遷を経て、ブルース・ウェインの信頼を勝ち得たアルフレッドだからこそ、若き当主が敵の老練な言葉に惑わされたときに、彼を正道に引き戻す言葉を届かせることができたのです。


この一連の構成は強く結びついていて、本作の背骨を成していると思います。他の登場人物達、セリーナ・カイル、ペンギン、ファルコーネなどもそれぞれ魅力的で作品を豊かにするのに大きく貢献していますが、本作の中心軸はあくまでもバットマンとアルフレッドです。

肉親の過去の過ちを知り、その罪を背負いながらも、その弱みを突いてくる敵に立ち向かう彼らの心の強さが、本作の主題です。ひとりよがりではない、万人の共感を呼ぶその理が、アルフレッドの言葉に結実しているところに、本作の真の値打ちがあります。

本来闇の存在であるバットマンが、そこから一線を画す存在になり得ているのは、その心の働きがあってこそなのですから。

まさに神はディテールに宿る。この機微を捉えた描き方だけで、本作は力強い品格を獲得していると思いました。

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2022.03.06

「アメリカン・ユートピア」

アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のための作品。

アメリカという新天地へ誰もが移民としてやってきて、交流し、生活し、政治活動し、挫折して自省し、犠牲になった者を悼み、そして新たな希望を目指してまた進んでいく。

立ち止まることのない彼らの、慌ただしい生き様を、暗喩と風刺と、具体的な名指しも交えて綴る、グルーヴィーなパフォーマンス。

演劇のようでもあり、舞踊のようでもあり、マーチングバンドかと思うと、コンサートのようでもあって、スピーチのようですらあるという、知性と感性の両方が刺激される面白い体験でした。

普段あまりコンサートなどに行かない私にとっては、こういうパフォーマンスもあるのかという驚きでいっぱいです。

* * *

みんな故国を捨ててここへ来た。あれが目指すアメリカだ。という感じがまずすごい。我々のような自然成立している国家とアメリカという天地とは、全く違うことが強く感じられます。

本作には、新しい家、目指すべき建物というメタファーが繰り返し出てきますが、それが国家としてのアメリカ。

それが、ガラスとコンクリートと石に過ぎないことがわかって、そうじゃない、houseではなくてhomeでなければならない、というあたりからストーリーが回り出します。そう、コンサートなのにストーリー性が強く感じられるのです。

金銭的な成功から人間的なつながり重視へと、話の中身は王道ですが、その表現の仕方が独特です。

流れて行ってしまった水、というのが何の比喩なのか、的確に言い当てるのが難しいのですが、それを目指して新天地へやってきた目的のものが、手のなかからすり抜けていってしまう喪失感が、よく表れていました。

燃える家、というのはたぶん、アメリカという価値の体系に火がついて、根底から再考を迫られていることを指しているのだろうかと思います。彼ら自身もそのことをよくわかっているのでしょうね。

家族を持つことの喜びや、生活雑感のような日常の苦楽を謳った曲も交えながら、後半に進むにつれて、話が具体的になっていきます。2016年という年がでてきたり、選挙の投票率の話があったり、犠牲になってきた黒人たちの具体的な名前が出てくるとか、ブロードウエイの出し物として、そういうこともできるのかと、その型にはまらない発想がよいです。

最後は、劇場の観客席を演者たちが一列になって行進しながら、カウボーイのような気勢を上げて最高潮に盛り上がるのですが、当然ここはアメリカ原住民を思い出すところです。このパフォーマンスのシナリオを書いた人間が、原住民に対して犯してきた過ちを感じていないわけがないのですから、その反省と償いは承知の上で、それでも俺たちは前に進むという割り切りと覚悟を、ここでは見るべきなのでしょう。


このパフォーマンスを、スパイク・リーに映像としてまとめさせるという発想がまたすごいです。目論見は見事にあたっていて、演劇用のコンパクトな舞台での動きを、観客席から見たらあり得ない様々な視点とカメラワークで捉えて組み立て、元の舞台のエッセンスを強く引き立てているかのようです。

他国人の私から見たとき、アメリカとは何か、を否応なく考え感じさせる、非常にインパクトのある作品でした。

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