「プリズナーズ・オブ・ゴーストランド」
予告だけでは何のことやらわからず見に行ってみて、ぶっとびました。なんですかこのアングラ劇団みたいなノリと悪趣味で露骨な暗喩は。
客席を見回すと、床屋で政治談義が好きそうな高齢者ばかり。情弱でした。はめられましたよ。
まあ、暗喩には当たってると思うところも、違うと思うところもありましたが、ここで示されている反米的でステロタイプな世界の図式と臆病な日本人像を作り手が提示したかったらしいことは了解しました。
胸糞悪いです。なぜかというと、国際感覚のないアメリカ人から見た日本というキッチュな存在が、そのアメリカ人の頭の中ではこういうふうになっているだろうという日本人側の空想、それはどうせこんなもんだろう?という日本人への侮蔑を感じたからです。複雑なのです。
作中で描かれる閉塞を打破するのは、結局外国人です。日本人と見立てた俳優は大勢登場するのに、それは皆、救いを待つだけの受動的な存在で、救世主たるヒーローは外国人なのです。馬鹿にしてますよね。
それでもまあ見てよかったとは思います。半分くらいは当たってますから。お薦めはしません。
本作といい、「ミナマタ」といい、ハリウッドの衣を被せてニッポンに自省を迫る風な映画が、この時期に折り重なって公開されるというのは、どういう動きなんでしょうか。
コメントの中には、監督は4年前には構想していたような話もあるけど、その頃はコロナはなかったし、中国の在り様もその後急速に変わってきていて、そのあたり、軌道修正しなくてよかったんでしょうか。
それにしてもニコラスケイジ、役を選ばないというのは本当だったんですね。いや、いいんですけどね。