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2021.09.06

「ドライブ・マイ・カー」

原作は村上春樹の小説。読んだことはないが、映画はたいへん素晴らしい出来上がりになっている。複雑かつ重層的、それでいて最後は奥深くシンプルというのが、この作品を味わった後の素直な感想だ。登場する人の生それぞれの翳りと、最も親しい夫婦の間にさえあるすれ違い、人と人の間に現れる輝ける何かを、じっくり見せてくれる。

その見せ方が凝っていて、演劇人である主人公が仕事で扱うチェーホフという劇作家の作中に現れる台詞が、そのまま本作の要所々々で人の心の裡を表すという仕掛けだ。そんなアクロバティックなことをしていながら、微塵も違和感を感じさせない。これは凄い。
似たような試みは以前も見たことはある気がするけれど、これほど密接に劇中劇が作品の本質に同化しているのは、たぶん初めて見る。

その劇中劇の台詞は、比較的早い段階で、本作の到達点を示している。人生は苦しくて辛いがそれでも我々は耐えて生きていくのです、そうすれば最後には神様がほめてくださります、という単純な真理だが、その時点ではまだ、この台詞は表層的にしか響かない。

それが、話が進むにつれて、手を変え品を変え、あるいは枝道でフラクタルな重なりを見せながら、1枚づつ覆いを剥がしてゆき、じっくりと存在感を増して、最後には、言葉にしてしまえば単純でしかないこの理が、鈍色に輝く本物として現れてくる。全てのテクストが頭に入っていてはじめて作品を理解できる、という主人公の言葉のとおりに。

しかも、この現れ方は暗くはない、むしろ明るさを伴っているのがまた凄い。パク・ユリムについて、あまり作品紹介などでは触れられていないけれど、彼女がその明るさを齎して作品を泥沼から引き揚げ引き締めている。


今年はコロナ禍で映画にとっては受難の年だが、本作1本が上映されたことで、実りのある年とすることができるのではないか。

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