「マスカレード・ナイト」
久しぶりに見る麻生久美子、よかったです。冷たい美人。嘘で塗りこめられた仮面の下の一片の誠。それが目的で見に行ったようなものだけど、作品としてはそこには焦点を当てず、むしろホテルマンと刑事との価値観の相違と止揚を中心に据えてきた。それはそれで前向きだという評価はできる。
東野圭吾原作の作品は、以前は結構面白いと思っていた。それは、本作では脇役扱いになった悲劇の方に焦点が当たっていたからだ。けれども本作は、どちらかというとTVっぽいつくりで、明るく前向きな未来に話を持って行っている。
それで、どうもコロナ以降、こういうものにピンとこなくなってしまっている自分に気付いたりする。映画としてはもちろんよくできているけれど、この前向きな感じの中に、つくりものの匂いがしてしまって、素直に喜べない。
一例をあげると、クライマックスのシーン。腕時計の遅れという伏線が回収されるんだろうなという予想が早々についてしまう稚拙さは措いておくとしても、刑事が扉を開けた後の行動がおかしすぎる。秒を争う展開の中で、あそこでは、祭壇にダッシュで駆け寄って状況判断、行動するべき場面だろう。入口で立ち止まるのはどうみてもおかしい。作り手が観客(読者)の心情をこの程度だろうと勝手に斟酌して、さあここは皆さん悲しんでいただく場面ですよといわんばかりの演出で、鼻につく。テレビ臭がするとでも言えばいいだろうか。
そういう上から目線の下手な演出に拒否反応が出てしまうのは、コロナで人の生き死にを身近に感じるようになった影響だと思うのだ。時代は変わりつつあるけれど、頭を切り替えられない作り手の作品は陳腐に映ってしまう。
まあ、そもそも高級ホテルなんてものに縁がないから、そういう世界もあるのかね、という目を養うにはよかったのかもしれない。
※そもそも、コロナを小ネタに使っているのに、登場人物全員マスクのマの字もしていないって、リアリティゼロですよ。作り手にすれば、非常に悩ましいところだよなあ。。