「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」
この作品は、前作にも増して質が高い。
映像の作り方然り。緊張の作り方然り。ドラマの作り方然り。言うことありません。堪能しました。
音をたててはいけないという設定が異様な緊張をもたらしているのは前作同様です。しかしこの緊張感は、単に設定の効果によるだけではなく、シークエンスの作り方の巧みさの力でもあることに、今回遅ればせながら気づかされました。
冒頭で描かれるDAY1の様子の中で、草野球の試合の最中に異変が発生し、家族連れが自分の車へ不安を抱えて急ぐ途中、もう少しで車のドアにたどり着く直前に、他の急発進する車に危うく衝突されそうになるところ。ここの、異変に気を取られて周りが見えなくなっている心理状態と人々の慌てぶりを、カメラの回りこみ具合ひとつで表しています。映画館の席から飛び上がり掛けました。もちろん、主人公家族の夫と妻のちょっとした別行動で、異なるシーンを見せながら、恐怖と不安を時間差を持たせながら平行して走らせている効果もあるでしょう。
かくして、平穏な日常から突然の終末へと観客は瞬時に移動します。そこに何の不自然さもありません。本当にそれが目の前で起きているかのよう。すごいです。そして、それにかぶせるように怪物の出現。否が応でもこのグロテスクな災厄の現実感が高まります。
こういうところに、作り手の熱の入れようと、質の高さを感じずにはおれません。他の映画でもこうしたシーンはたくさん出てくるのですが、この作品のここの一連のシークエンスは出色の出来に見えます。
一方、ドラマの方も簡潔で的を射たつくりで、挽回不可能に思える事態に遭遇した際の人の在り様を描きます。主人公家族の友人だった男の、恐怖と無力感からくる思考停止と責任放棄の姿勢を、小さな体に不屈の精神を宿した女の子が変えていきます。母と父から受け継いだその魂が、弱き人間へ伝播して影響を及ぼしていきます。彼女が耳が聞こえないことが、あるいは恐怖心を和らげていたのかもしれません。何かを偶々持ち合わせなかった人には、別の何かが備わるのでしょうか。
本作で、反撃の方法は確立され、消えそうだった炎が多くの人々に伝えられました。これでシリーズは終わりでもいいのですが、彼女の不屈さをもう一度見たい気もします。例の「何か」がどのように地上に現れたか、その発端が本作で垣間見えたので、あれの除去あたりをネタに完結編を作ってほしいものです。期待したい。