「アーミー・オブ・ザ・デッド」
真田広之がんばってるな!日本人自虐ギャグをかますくらいに!
ということで、ザック・スナイダーのゾンビ映画です。
冒頭、お話の現状に至るまでの過程を、洒落た映像と音楽で断片的にお送りするあたり、スナイダーらしさがよく出ています。「エンジェルウォーズ」をアメリカンテイストにしたような。
こういうの見ていると、タランティーノをちょっと思い出すのだけど、そういえばこのコロナ禍で、タランティーノ十作品の最後の1本はどうなったんだろうな、など思ってしまいます。
さて本作の方は、もう今風ゾンビ映画そのものですね。
ゾンビ映画というのは、最初はホラー映画として出発したと思いますけど、いまやゾンビをネタにいろいろ語るジャンルになっている感があります。この作品でも、人間側のあれこれが7割といったところでしょうか。まあ、ゾンビ側も知能があったりしてオソロシイですけど。
それにしてもアメリカ人、ゾンビ好きだなと思いますが、その理由がふと分かった気がします。ゾンビは日本でいうところの「〇〇亡者」なのではないか。我々はいつも何かしらの妄念を少しづつ引き摺っているわけで、その妄念に取り込まれてしまう瀬戸際を生き続けているわけです。ふとしたことで向こう側に行ってしまうのも割とよくあって、それでも普通の仮面を被って生活を続けるわけです。
そんな中で登場する人間たちは、現実の世で言えばまあ覚者であると。普通なかなかお目に掛かれないような善や悪を、亡者の群れを前に発現させるわけです。そこにドラマが生まれるという仕掛け。
まあ屁理屈はそれとして、本作はその点ではなかなかよい出来です。
映像は、意図的に被写界深度を極端に浅くとったシーンを多用しています。非現実感を出すための工夫でしょうか。ちょっと面白い技法でした。何かを常に非現実に見せるのは、この監督の真骨頂なのかもしれません。
結局、限定的な核兵器使用でゾンビは完全に滅ぼされたように見えて、その実どこかに飛び火しているのは、今の世のウイルス騒ぎを連想させてタイムリーです。ゾンビ映画の結末はたいがいそうなんでしょうけど。
ということで、エンタメ万歳なザックス・ナイダーらしい1本に仕上がっておりました。