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2020.08.31

「シチリアーノ 裏切りの美学」

やくざというのは、出だしは地域の用心棒的な役割と、特殊なマイノリティの受け皿的な役割とで、一定の意味も見いだせるのかもしれないけれど、国家による司法と行政が整備されていく中で初期の役割を失い、生き残りの道を模索していく間に、欲得づくのモラル喪失集団に変容するのだろうか。

この映画は、その変容に嫌気が差した男の密告に基づいた、マフィア撲滅の筋を追っている。司法に協力したこの元マフィアの大物に映画は好意的だが、たぶん現実はどっちもどっちなのかもしれない。抗争の調停に失敗した挙句の密告(悔悛と呼ぶらしい)なのだから。

作品の後半は多くの時間を法廷の描写に充てている。檻の中から裁判の進行を見つめるマフィア達の厚顔無恥・傍若無人ぶりが目立つ中で、ひとつ、彼らが怯む部分がある。

悔悛者のこの元大物マフィアが、調書には書かなかった件を暴露したときだ。彼らの一人が、同じ身内を殺害したこと、それがただ幹部会の決定だからというだけの理由で行われたことを聞かされた彼らは、それまでの大袈裟な騒ぎ振りと打って変わって、一様に押し黙ってしまう。
彼らにとっても、自分達の堕落はやはり意識されていたのだろう。
この一幕を境に、裁判の趨勢は原告有利になっていく流れで映画は作られている。

判決と量刑が出て、この話は一応終わるのだが、関係者のその後についても少し描写がある。調書を作成した判事は、爆死。もう一人の悔悛者は復讐を胸にイタリアへの帰国を画策。
主人公の元大物は、米国内を転々としながら、とうとうマフィアの手から逃げおおせ、畳の上で死を迎える。


どんな社会にでも暗部はあるものだろうけれど、それにしてもイタリア、というかシチリアのこれは根深いものがあるようだ。その地域の経済に食い込んでいるから、なかなか根絶というわけにもいかない。

取り立てて感情が揺さぶられるようなものでもないけれど、見てよかったと思える作品でした。

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