「アンティークの祝祭」
カトリーヌ・ドヌーブが貫禄を見せている、というくらいの作品。
アンティークそのものに関しては、特に何もない。それはそうだ。モノに過ぎないのだから。
そうではなくて、縁のあったモノから思い起こされるたくさんの思い出、いいものもわるいものもあるそういうものどもを描いている。想像上の個人史のようなもので、観ているこちらには、特段の思い入れがあるわけでもない。
ただ、ひとつとても大切な話が織り込まれているのを除けば。
* * *
誰でも長く生きていれば、誰にも話さずに墓の中までもっていこうと決めたことがひとつやふたつはあるだろう。それは大抵、罪の意識と一緒にあるものだろうけれど、この作品で取り上げられているものもその一つ。
主人公の老婦人は、そのことをずっと悔いて重荷に感じてきた(はずだ)。
しかし、たぶん、気位の高い性格が災いして、誰にも話すことができなかった。
死期を悟った彼女が、気まぐれとも思えるオークションを開催したことが噂になり、それが切っ掛けで久方ぶりに尋ねてきた娘との、いささかささくれ立ったやりとりを繰り返す中で、この老婦人の過去の断片が回想される。
少しづつ、半ば失った過去が思い起こされる過程に、観客も付き合っていった最後に、彼女の心残りの種が明かされる。
重苦しいやましさを抱えて生きてきたこの人の人生に、いいようのない哀しさを覚えたまま、映画は終わってしまうのかと思いきや、倒れた老婦人を介抱する実の娘のひょんな言葉から、そのわだかまりが単なる本人の勘違いに過ぎなかったことがわかる。
ああ、なんだそうだったのか。この瞬間のなんという晴れやかな空気。これで心置きなくあの世に旅立つことができますね。思わずそう声を掛けたくなるような巧みでさりげない展開。それがこの作品の味わいです。
人の寿命が尽きるということは、周囲のまだ生き続けなければならない者達にとっては重く悲しいことであるのに、当人にとっては晴れやかなことでもあり得るのだ、という感覚を、たいせつに受け止めたいと思います。
最後の華々しい散り方は、このふてぶてしく生きてきたであろう老婦人にとても似つかわしくて、まさに祝祭というタイトルがしっくりきます。