「ファイト・クラブ」
野生を取り戻せとか、世の中をよりシンプルに、とかの主張は理解できる。拳の論理。
1999年公開だから、世界は世紀末気分が最高に盛り上がっていた頃だ。既成の枠組みをぶっ壊せといった主題は、まことにタイムリーだったろう。
「JOKER」は、世の中に鬱積した不満を主人公が扇動し火をつけて収集が付かないカオスを現出させるという形をとっている。そこにあるのはいたずらに暴走する群衆の姿だった。
この「ファイト・クラブ」の方は、既成のものをぶっ壊す点では同じだけれど、手法としては、自ら静かに動くことを選んでいる。計画し組織し訓練し目標に向かって真っすぐ進む。もちろん、それをそのまま描いたのでは映画として面白くないから、種明かしは最後までとっておく。
前者の破壊が結果なのに対して、後者の破壊は目的であり終点だ。
その先に何があるのか、作り手は描いていない。世紀末なのだからそんな先のことを考えても仕方がないということなのだろうか。
で。2020年の現在。
世界は何度か危機を迎えたものの、どうにか立ち直り、あるいその振りをしながらなんとなく続いてきた。そこへコロナ禍が来た。
明日の見通しも立ちにくい。既成の枠組みは、暴徒によってではなく、爆薬によってでもなく、疫病によって壊れようとしている。
一体この先に何があるのだろう。
本作の主人公と同様に、ただ崩壊していく高層ビル群を眺めるよりほかにないのだろうか。映画はそこでおしまいだ。
でも現実には、明日の世界の姿を想像して、それに備えてやれることに手をつけることはできるだろう。やろうではありませんか。