「ミッドサマー」
まあカルト映画のようではあるのだけど。
本作は筋金入り。早い段階から全面的にカルト一色になる。そもそも舞台が北欧の山奥のカルトの村。少数の現代文明人はその中では、電波や車など文明の利器を持たない全く弱々しい存在として取り込まれていく。
こうなるとお話はもう民話などに出てくるおどろおどろしさそのままになってくる。白夜でほぼ一日中明るく、真っ白な装束で笑顔を湛える人々のただ中で、民俗学が扱うような未開の信仰に基づいた儀式が進行する。
エデンの園から追放された文明人からすれば、それは迷信からくる惨たらしい、あるいは恥ずべき行いでしかない。しかし、自然崇拝、大家族(または部族)主義の世界観を持つ人々にとっては、それこそが生の在り様であることに疑う余地はない。
そういう筋書きなので、これはもうどこかで見たことがあるような展開ばかり。正直、途中で飽きました。一応最後まで付き合って、疲れた頭で帰り道考えてみると、実は意外なことに気づいてしまう。「○○は与え、○○は奪う」というのが、このお話の基調に流れているのだが、それは現代人が気に掛けている環境負荷の話と同根ではないかということに。
命は与えられると同じ分量だけ奪われなければならないとすれば、新しい命が生まれるのと引き換えに、いま生きている者を間引かなければならない。彼らカルトの村の人々は、間引く命の決め方をルール化して粛々とその儀式を執り行っているに過ぎない。そこに何のわだかまりも迷いもあるはずがない。環境に負荷を掛けないという善行を成しているのだから。而して当然ながら、間引きは殺人としか受け取れないキリスト教的文明人との間で、摩擦が生じることになる。
環境負荷の問題を真摯に考えるほど、実は、人間をこそ間引くべきなのではないか、という考えに行き着き悩むことになる。本作の主人公の女性が、残酷な儀式の末に、最後に晴れ晴れした顔でほほ笑むのは、間引きは罪ではないどころか自然の摂理であると悟った末のことなのだ。
ぞっとするべきなのだろうけれど、そうでもない自分がちょっと嫌ですw
ちなみにwikipediaによれば、本作の監督さんは、「「ダニーは狂気に堕ちた者だけが味わえる喜びに屈した。ダニーは自己を完全に失い、ついに自由を得た。それは恐ろしいことでもあり、美しいことでもある」と脚本に書き付けている」のだそうです。西洋のキリスト教の楽園を追放された後の人ですね。