「ジョジョ・ラビット」
ナチスものは、年と共に少し辟易する感じが強くなって、たいてい見送っているのだった。たぶんあまりにステレオタイプなのが鼻につくのだと思う。そのため多少穿った見方をしたり、滑稽な感じのものを見るようになった。
本作はその点、かなり気楽に和やかに描いている部分があって、敷居は低い。10歳のジョジョはまだ十分甘えん坊で、お母さんはスカーレット・ヨハンソンだし。大尉はサム・ロックウエルだし。「月に囚われた男」の!
そんなジョジョ坊やが、屋根裏に母が匿ったユダヤ人少女と、はじめは敵として、そして次第に友達として、交流を深めていく。もちろん彼はナチスに洗脳されているから一筋縄ではいかない。それでも彼を密告に走らせなかったのは、母が協力者としてひどい目にあうと、少女に釘を刺されたからだった。
さてそうして、安定した交流の場ができてみると、ジョジョ坊やが吹き込まれてきたユダヤ人に関する荒唐無稽な話が、現実とあまりに違うことが少しづつ分かっていく。もっとも、少女の方も悪乗りが好きなようで、角が生えるのは20歳を過ぎてからだとか、少年の妄想を煽るようなことを意地悪に教え込む。このあたりの諧謔味が空気を和ませてとてもよい。実際、戦争中なのに、そんな感じはほとんどしない。全体に言えることだが、本作は10歳の少年の心象風景のようにフィルターを掛けて描かれている。
けれどもある日、突然の悲劇がやってくる。少年にとってたぶん初めての、大切な人の死が、目の前に。戦争という陰惨で理不尽な抑圧がいきなり大きくのしかかる。
この作品のなかなかいいところは、この悲劇をジョジョ坊やが独力で乗り切ることだ。身近に助けてくれる大人は居ない。慰めてくれる友達もいない。悲劇の場に一昼夜、ただ独り座り込んで、ときどきその足を抱きしめて涙にくれ、そうやって信じがたい目の前の事態をなんとか飲み込もうと、別れを告げようとするのだ。この放心ともいえる時間の流れを、我々は噛みしめながら見る。誰もが必ず味わう肉親の死。少年の心の裡はどう変化しただろうか。
そうこうするうちに、ドイツは敗戦になだれ込んでいく。少女と二人になったジョジョは、多少は大人になったのだろうか。連合軍が街にやってきて、ナチスの呪縛も解け、とうとう二人が晴れて表に出るシーンで、この映画は終わります。そのときはじめて、自由っていいなと、自律って大切だなと。そして愛は受け継がれると。それを言いたかったのかと、思うわけです。
いい映画だなあ。