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2020.01.17

「パラサイト 半地下の家族」

韓国社会の格差がどういうものかわからないのだけれど、この作品はまあ、それを扱っている。

半地下に住む底辺の人間である主人公一家は、詐欺師としての各々の能力を生かして金持ち一家に取り入っていく。金持ちに寄生して潤沢な報酬を得るその様子が、パラサイトという題名の由来だろうか。

この一家は、同じパラサイトである他の使用人たちを罠に嵌め蹴落とすことで、その地位を手に入れていく。そこには当初何の遠慮会釈もないのだが、ある事実が明らかになって、家長たる父は自分達の行為に疑問を抱くようになる。自分達がやってきたことは、現状の格差を肯定し、その枠内でのし上がることで、結果として格差を強化しているのではないか、といったところだろうか。

もちろん彼にはそんな高度な自覚はないかもしれない。彼の臭いに金持ちの社長が鼻をしかめる態度に、越えられない壁を見て、ただ静かに怒りを育む。言葉遣いや立ち居振る舞いはごまかせても、隠しようのない所属階層の刻印。金持ちの側には自覚は無いが、貧乏人の側は惧れ恥じるもの。それは臭い。

この辺りに特に、作り手の巧みさを感じる。極めて生理的なものを持ってくることで、どんな理屈よりも説得力のある格差間の壁を感じさせている。この壁は越えられない。そう思ったからこそ、父は最後にああいう破滅的な行動に出たのだろう。

ここまでは、割とよくありがちな流れだ。もちろん詐欺師ものだから、途中はらはらどきどきがいくつもあって、それ自体見応えがある。それに、途中で投げ込まれた予想外のアレが本作を最高にユニークなものにしていることは疑いない。

けれどもこの作品の面白さは、クライマックスが過ぎてからの後日譚にあるのではないか。金持ち一家は退場し、その後にまた別の金持ちが来てそれも去り、月日が流れていった末に、この芸術的な舞台に最後まで残っていたものは何だったか。勝者は結局誰だったか。

大雨で一家が避難したとき、父が言った言葉が蘇る。「計画を持たないことが、最良の計画なのだ」。ある種の開き直りではあっても、持たざる者の最強の戦略がそれだと言えなくもない。いわゆる無敵の人である。

そうして無敵の一家は夢想する。いつか持てる側に立った自分達の様子を。それはけれども夢想でしかない。目的を、計画を、持ってしまえば無敵さは失われるのだから。父はその罠を越えられなかった。息子はそれを越えようとする。映画はそこで終わります。

なかなかいい終わり方じゃないですか。見る側はいろいろに、それこそ夢想することができます。「ジョーカー」がいかにも米国的。「万引き家族」がいかにも日本的なのに対して、本作はいかにも韓国的というか。他の作品では味わえないものがありました。

 

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