「2人のローマ教皇」
まず、NETFLIX配信の作品を上映してくれるUPLINKに感謝。迷わず会員になってよかった。
さて、この作品は、教皇ベネディクト16世の辞任と新教皇フランシスコの就任の間に、二人の間でどのような会話、議論が交わされたのかを中心に描いています。
この種の映画はキリスト教、特にカソリックとの距離感によって、感じ方が違ってくるかと思います。赦しというのはキリスト教の大きな特徴だけれど、本作ではその概念の受け止め方に二人の教皇の違いを出していて、私はたいへん興味深く観ました。
ベネディクト16世は在位中に、教会を揺るがす性的虐待事件に見舞われ、結局、罪を犯した司教を移動させただけで赦したのですが、一般社会からはもみ消しであると批判されています。映画の中ではこの件についてフランシスコが、罪人を赦すだけでは被害者は救われないと説いています。ずいぶん現世的ですね。
その辺りが本作の核ではあるのですが、それ以外にも、二人のやりとりは、時に親しみあり、時に緊迫感あり、ユーモアもあって、それがこの作品の良さとなっています。
フランシスコの過去の回想シーンが多くあって、それも本作に厚みを加えています。ベネディクト16世がフランシスコに教皇の座を譲りたいと持ち掛けたとき、フランシスコは、自分はとてもその任に堪えないと、自身の罪深い過去を懺悔します。彼が自分の罪を自覚していることは、とても重要です。それを背負ってこの人は復職してきた。対話の末にベネディクト16世が、それへ赦しを与えるシーンは本作のひとつのクライマックスかもしれません。
そこから、日を改めて今度は、ベネディクト16世が自身の罪をフランシスコに語ります。驚き動揺するフランシスコが説いたのが、前述した本作の核となる考え方です。そして、今度はフランシスコがベネディクト16世に赦しを与えます。二人の間でわだかまりが消え、教皇の交代が暗黙に合意された瞬間です。
なんだか、ちょっと感動します。映画というのはこういう風にも作れるんですね。
まあ、作り手の解釈は、庶民的な現教皇に少しよいしょしているとは思います。その後もこの種のスキャンダルは引き続き起きているようで、今年の2月には、前例のない特別会議が開かれたと伝えられています。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47315445
フランシスコの前途も多難といった塩梅です。キリスト教も長い歴史と巨大な組織を背負って管理が行き届かなくなっているのだろうとは思いますが、自浄できるのでしょうか。聖職者は結婚するなということ自体に無理があるとは思います。かといってそれをOKにしてしまったらこれまで営々と築いてきた教会の秩序がどうなるかわからない。悩ましいところなのでしょうね。
それにしてもまあ、先代、現職とも、よく似た俳優を探してきたものです。それも名優を。それだけで本作は内容の良さを積み増しているようです。特にアンソニーホプキンスが見せる表情の変化。輝くような知性を見せたかと思うと、死んだような疲労した顔を見せたり、基本的には堅物な人物を演じながら、稀にユーモラスな面を見せたり、すばらしい。ベネディクト16世は、日本のネット界隈では、彫りの深い顔立ちを悪魔に見立ててネタとしてよく取り上げられていましたが、不謹慎なと思いつつ笑ってしまいました。悪魔的人物の演技はホプキンスお得意でしたねw。
キリスト教に関心がなかったり、斜に構えていたりする向きには、本作は偽善に見えるかもしれません。けれども、偽善すら抱えてそれでも生きていくのが人間というものだと気づくことも、また大切だと私は思うわけです。