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2019.12.11

「マリッジ・ストーリー」

米国の離婚事情はこんなことらしい
https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2018/10/post-85.php

ちなみに日本はこう
https://ricon-pro.com/columns/81/

もう離婚てごく普通にあることなのね。知りませんでした。

* * *

映画の方だけど、まあせっかく結婚したのに離婚なんかしない方がいいよという言葉が喉まで出かかって、でも見た後では、仕方がないのかもなあという気持ちになる。男も女も、時が経てば夫婦である前に自分でありたいということなのでしょうか。ただ、それでは未成年の子供が生きていけなくなるので、自分である前に親であれと。米国の制度はそうなっているようです。

理屈はまあそれとして。


はじめのうち二人は、結構冷静に話し合っているのに、離婚弁護士が絡んできてから思ってもみなかったほど距離ができてしまって、そのことに気づいて少しブレーキをかけようと、弁護士抜きで二人だけで話し合おうとする場面があります。

話しているうちに、相手のことをあれこれあげつらいながらエスカレートしていって、お互い普段は押さえていたことを全部吐き出してすっきりするのかと思ったら、罵倒合戦が最高潮に達したところで、なんで愛してしまったんだろう、という言葉が激情と共に迸り出て、聞いている方もその言葉の苦味や苦しさに呑まれます。二人にとっては互いに愛し合っているなんて自明のことなのに、互いに対する不満を抑えきれない。夫婦愛は至上のものではない。

こんなに仲良く見えるのに。
男女の仲は複雑です。

この二人は、相手を憎んで別れるわけじゃない。ただ、どうにも折り合えない点が一致してしまった。そして感情に翻弄されながらも新しい着地点をどうにかこうにか見つけ出した。

そういうことの割り切れない感じがとてもよく出ている作品だと思います。人生に正解なんてないことを、言葉ではなく実際の過程を見せることで感じさせてくれました。

* * *

二人に西海岸の映画文化と東海岸の演劇文化を表象させていたり、二人とも才能を開花させて実績を積み幸福な第二の人生歩ませたり、映画作品として破滅的な結末を避けたのは幸いでした。世の現実がどのようにすさんでいようと、そこに多少なりとも希望を灯さなければ、作品として見せる意味がないですしね。

アダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソン、いい組み合わせでした。

 

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