「アダムズ・アップル」
またまた良い映画を見てしまいました。
あまり話題になっていないようだし、たぶん、自分的にはすごく刺さるけど、一般受けはしないというやつです。
* * *
私の見立てでは、イヴァンは希望を表象しており、一方、アダムは現実を体現しています。
出だしの感覚では、当然ながら、受刑者であるアダムが悪人であり、それを更生させようとする牧師イヴァンが善人です。普通にそう思います。
ところが、徐々に、イヴァンという牧師のまともそうな外見からは想像もできない過去とその闇、異常さが、じわりじわりとわかってきます。アダムの悪人面が可愛く見えるほどです。このあたりの変化の付け方が、なかなかよい。
もちろんアダムも抵抗します。が、そのたびにイヴァンの議論という言葉の圧に押し返され、苛立ちが募っていきます。
しかしある日、アダムはそれまで見向きもしなかった聖書のヨブ記を読んで、イヴァンの心の奥を知ってしまいます。本の背表紙に折り目がついて落とせば必ずそのページが開いてしまうほど、イヴァンがそこを何度も読んでいたことも察します。
その聖書を手に、アダムは礼拝堂で、イヴァンの嘘で固めた世界を暴き立て追い詰めます。
彼は勝ち誇って言います。「おれは根っからの悪党だからな」
それはつまり、現実から希望に対する宣言であり、希望などというものに勝ち目はないという宣告です。
イヴァンは耳から血を流して昏倒します。
決着はついたように見えました。イヴァンはついに自分の胡麻化しを認め、神の庇護たる奇跡を失い、死を自覚したのです。希望は失われ、現実が勝利したように見えました。
ところが、おかしなことが起こります。信じられないような偶然と幸運によって、希望は息を吹き返します。そんな馬鹿な、と現実主義者はうろたえるかもしれません。そういうものを人々は奇跡と呼ぶのかもしれません。
* * *
アダムは根っからの悪党と自称はしていましたが、世の中の常識からかけ離れたイヴァン達と出会って、意外なほど自分が常識を知っている人間であることに気づいたのかもしれません。彼の悪は単に、常識の枠内で粋がっていただけだったことを知ったように思えます。
それを、悟りというのかもしれません。
なんだかとても不思議で、味わい深いものを見た気がします。
全編に深刻ぶったところはなく、むしろクスリと笑えるようなユーモラスな場面が多いのに、とても深みを感じました。こういう作品を、傑作と言うありふれた言い方でなく、何か別の言葉で呼びたいのですが、何といえばいいのか。
マッツ・ミケルセン、ウルリッヒ・トムセンの組み合わせ、最高に面白かったです。
監督・脚本はアナス・トマス・イェンセン。