「ジョージア、ワインが生まれたところ」
”映画で旅する自然派ワイン”というドキュメンタリー企画の2本のうち1本。
しばらく前に、テロワールという言葉が流行ったけれど、今はあまり聞かない気がする。生産者にとっては大切なこの考え方が、大消費地の片隅に生きる”消費者”に届くころには、すっかりマネタイズされマーケティングの小道具になり果ててしまったからだろうか。
本作の舞台であるジョージアは、カスピ海と黒海の間に位置し、葡萄とワインの発祥の地とされる国。そこで独自のワイン造りに携わる人々は、ワインはアイデンティティの拠り所であるという。東西の大陸に挟まれ何度も侵略と征服を経験してきた人々が、にも関わらずジョージア人という意識を保った鍵は、ワイン造りにあったと言うのだ。
例えば日本人が仮に、米造りこそ我がアイデンティティと言ったら、ひと昔前はともかく、今はそんなことはないだろう。だから、ひとつの食べ物なり飲み物が、長い歴史を貫いて国や地域のアイデンティティだという意識は相当なことではある。この地のワイン製法は、2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されたというから、その凄さは本物だ。
古来の製法については、このサイトに多少記述がある。
http://www.dtac.jp/caucasus/georgia/news_172.php
クヴェヴリという甕を地中に埋めて葡萄を発酵させるこの手法は、紀元前8千年まで遡るというから驚きだ。四大文明より古いですけど、ほんとかな。この文章は短いけれど、映画ではもっと詳細にワイン造りの様子をたっぷり見ることができます。
一方、このサイトには、同国のワインについて通り一遍の説明がある。
http://www.dtac.jp/caucasus/georgia/entry_103.php
けれども、ここで言及されている葡萄の品種は、旧ソ連時代に強制された大量生産用の品種のようだ。映画の中では、本来のジョージアの葡萄品種の豊富さに触れており、ソ連時代に畑を取り上げられ、多くの品種が失われたものの、各家庭がそれぞれ独自の品種を残された小さな畑で守り育ててきたことで、かろうじて伝統を今に伝えることができたことが語られている。
私達がワインを消費の対象と見てしまうのは、やむを得ないことではあるけれど、彼らにとっては、ワインは歴史そのものなのだ。アイデンティティであるとはそういうことなのだろうし、金のために作っているわけではないという主張にも頷けるものがある。
とはいえ、いったん世界にその存在が知れ渡ったからには、今後、そのアイデンティティの源である手造りのスタイルをどう維持していくのか、おそらく新たな課題に直面することにもなるのではないか。
願わくは、私達消費者に短期間で踏み荒らされることなく生き続けてもらいたい。そのために、こちらは見守るだけで欲しがらないという自制が必要になるとしても。