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November 2019

2019.11.30

「台湾、街かどの人形劇」

冒頭、皺の多い老人の右手だけがしばらく映っている。
一目で、普通の手でないことはわかる。

天地を貫く人差し指は、太く、微動だにしない。
そのほかの指は柔らかくわずかに動いている。

これが、台湾の人形劇「布袋戯」の30センチほどの人形に命を与える手の動きだ。
これだけで、見に行ってよかったと思える。息をのみます。

映画は、この手の主にして人間国宝・陳錫煌の来し方を描いている。
ドキュメンタリーとしては、まあ普通の出来栄えだ。入り婿だった父、李天禄~こちらも人間国宝~との確執、家と姓にまつわる宿命、廃れる一方の民間伝統芸能の悲哀、伝承者選びの苦悩などが取り上げられていて、実際にそれは陳錫煌の人生を大きく揺さぶってきたのだろう。

けれども、冒頭の圧倒的な存在感を放つ手に比べれば、なにほどのものでもない。映画の普通さは、この手を作り上げてきた人が己の運命に抗い得てきたことの、むしろ証だとも思える。

映画の終わりに、再びこの手が登場する。そして実際に、人形劇を一幕演じて見せてくれる。
なんのことはない、平凡なストーリーの田舎劇だが、その人形の生き生きした様子はどうだ。街々を回りながら上演し、子供から大人まで娯楽を提供しながら、ストーリーに含まれた人の道を知らないうちに説いて回っている。

このまま廃れてしまうのは惜しいもの、日本ではもう消えてしまったものを懐かしく見る思いがした。
いやいや、消えてないか。日本の人形劇もがんばれ。


上映後、人形劇団ひとみ座(あの「ひょっこりひょうたん島」の!)の方のトークショーもあってお得でした。手の動きに加えて体や足の動きなどをシンクロさせることで、生きているような動きを生み出していることが、実演と解説付きで見せてもらえました。

んー人形劇・・・マイナーだけれど生き延びていってほしいです。
↓これ、NHKの人形劇番組ヒストリーね。
https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=puppet-anime000

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2019.11.26

「バウハウス100年映画祭」

4プログラム6本の映画だそうで、その3つ目のプログラムの2本、「ミース・オン・シーン」「ファグス-グロピウスと近代建築の胎動」を見ました。

なぜ見ようと思ったのか、はっきりとはわかりませんが、たぶん、シンプルな近代精神の欠如が、近ごろ一種の病気のように思えて、清涼な空気を吸いに山へ行きたくなったようなものかもしれません。

内容は、各界の関係者がひたすらミースの「バルセロナ・パビリオン」とグロピウスの「ファグス靴型工場」をほめまくるだけなので、映画としての価値はあまりないと思いますが、近代の息吹を思い出すには十分だったと思います。

関係者たちの情熱的な解説の洪水が終わるころ、最後の方で、名もない訪問者の一言が投げ込まれています。

「ここには、いらないものが何もなくて、たくさんのものがある。」

もしいつかバルセロナへ行く機会があったら、このパビリオンは是非体験してみたい。

 

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2019.11.23

「ゾンビランド:ダブルタップ」

これの良さっていうのがいままでよくわからなかったけど、ひょっとすると、嫌なやつの頭を吹っ飛ばしたいと密かに思っている我々の隠れた欲求を解消してくれるというものなんじゃないか、てなことを今回は思いましたですはい。

まあ、あとは前回同様。「Z世代」とか言っちゃってもちろんゾンビ世代の意味だけど、たぶんZ世代をおちょくってますね。リトル・ロックがそういうのによろめいて付いていっちゃっても、最後の最後に45口径が火を噴いてモヤモヤを吹っ飛ばしてくれますが。Z世代なのにヒッピーみたいな描き方は少しずれてるけど、タラハシーから見れば全部おんなじってことでOK?

そういうわけで、今回も前回とほぼ全く同様の展開です。ぶっとばせ。以上w

そうそう、メンバーというか家族が一人増えました。ロザリオ・ドーソンええなあ。これでタラハシーが落ち着いて、次はリトル・ロックが彼氏を見つける展開と決まりましたね。

 

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「アナと雪の女王2」

これ文句なく傑作です。まず歌詞に表れているテーマがいいのね。
"Do the next right thing."

いろいろ思いあたるフシがあるよねえ。。

http://www.nextenglish.net/the-next-right-thing-frozen2-kristen-bell

そしてストーリーもいい。
空想世界の話だから他愛もないかというと全くそんなことは無くて、むしろ実写の大仰なアクション映画なんかよりよっぽど心に触れるところがあります。それを冒険ファンタジーRPG風の展開の中にまとめ上げている。
この作品の良さは、いくつもあるけれど、まず勧善懲悪パターンや憎悪と復讐劇を退けてなおこれだけの感動ストーリーを組み上げているところ。そして、過去の過ちを知って心折れながら再び歩み始めるところ。その役割を、特異な力を持つ姉ではなく普通の人間のアナに担わせているところ。前作ではそのあたりがもうひとつわかりにくかったけど、本作の主役は間違いなくアナの方とわかります。最初から日本語タイトルにエルサを入れずにアナを入れたのは慧眼です。一方エルサにはその超絶した力と引き換えとでも言わんばかりの悲劇を。子供向けに柔らかくしているけれどこれ以上はない悲劇。(姉姫様しんじゃうの?)

そして歌よしファンタジックな映像よしのイマジネーション溢れる童話にもなっています。もうたまりませんね。

もし「風の谷のナウシカ」に結末があったなら、きっとこんな感じ。クシャナはアナであり、ナウシカはエルサなのです。

 

先日公開された「マレフィセント2」も、過去の過ちを乗り越えて未来へ踏み出す話だったけれど、あちらは悪役をはっきりさせて、全部をそいつのせいにしていたし、未来志向というものが少し軽々しく扱われていた印象があって、私はネガティブな感想を持ったのでした。

けれども、この「アナと雪の女王2」は、それと同じテーマを追求しながら、それを遥かに凌駕して、心折れ心躍るお話にしています。たぶんエルサとアナの二人に役割を分け、贖罪と克服とを分離させながら結びつけることができたのがよかったのだろうと思います。

「未来が見えない時できることは、次にすべき正しいことをするだけだ。」

ぜひ映画館で、このあまりにも正しすぎる覚悟に刮目しましょう。


いや、またしても煽り過ぎか(^^;

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2019.11.15

「アイリッシュマン」

NETFLIXの配信開始前なのに、渋谷アップリンクに掛かっていた。この後「マリッジストーリー」も上映するそうで期待大です。

ネット配信向けだからなのか、3時間半という長さ。知らずに見終わって映画館を出て時計を見てびっくりです。最後の方が少しダレたのは、ネット配信ゆえの緩みなのでしょうか。

とはいえ、ロバート・デニーロ、アル・パチーノが出ずっぱりで、飽きるという感じはありませんでした。やはり名優は偉大です。

お話は、裏社会と表社会の両方にまたがって活動してきたある男の一生、という感じで、人はそこそこ死にますが、普通な感じで荒々しさはありません。やるときは手短にあっさりと。

むしろ、仕事だけを考えて生きてきた男が、晩年にそれまでの諸々を精算し、家族には見限られ、言いようのない淋しさを漂わせる点で、裏の男も表の男も何の違いもないのだなということを感じました。

デニーロ、パチーノともう一人、ジョー・ペシがたいへんよかった。彼が演じたのは、実在の伝説的マフィア、ラッセル・バッファリーノという人。広範囲に影響力と人脈・人望があり、様々なもめごとの調整役を務める男。穏やかさと凄みとを併せ持つ物静かな初老の男だが、子供からは決して好かれない。抑制的に行動していても、悪が滲み出てしまうのだろう。そういう人物の感じがとてもよく出ていました。そのマフィアも、年を取れば手は震え足元はおぼつかなくなり、ただの老人でしかない。その老いも、ペシは上手く出しています。

それにひきかえ、デニーロの老人のまあ下手なこと。以前もそれで白けたことがありましたが、今度もまた。デニーロいつも溌剌すぎる(笑

アメリカの歴史を知っていれば、もっと深読みをしながら楽しめたかもしれませんが、私の知識では、ざっとそんなところまでです。

 

【追記】

こんなページがありました。
ざっと読んで、時代背景がよりはっきりわかりましたです。
アメリカ人なら常識として知っていることなんでしょうけど・・
http://www.maedafamily.com/ansatu/anbu.htm

映画に直接かかわる筋はこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジミー・ホッファ
シーランとバッファリーノの名前も出てきます。

 

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2019.11.10

「アダムズ・アップル」

またまた良い映画を見てしまいました。
あまり話題になっていないようだし、たぶん、自分的にはすごく刺さるけど、一般受けはしないというやつです。

* * *

私の見立てでは、イヴァンは希望を表象しており、一方、アダムは現実を体現しています。

出だしの感覚では、当然ながら、受刑者であるアダムが悪人であり、それを更生させようとする牧師イヴァンが善人です。普通にそう思います。

ところが、徐々に、イヴァンという牧師のまともそうな外見からは想像もできない過去とその闇、異常さが、じわりじわりとわかってきます。アダムの悪人面が可愛く見えるほどです。このあたりの変化の付け方が、なかなかよい。

もちろんアダムも抵抗します。が、そのたびにイヴァンの議論という言葉の圧に押し返され、苛立ちが募っていきます。

しかしある日、アダムはそれまで見向きもしなかった聖書のヨブ記を読んで、イヴァンの心の奥を知ってしまいます。本の背表紙に折り目がついて落とせば必ずそのページが開いてしまうほど、イヴァンがそこを何度も読んでいたことも察します。

その聖書を手に、アダムは礼拝堂で、イヴァンの嘘で固めた世界を暴き立て追い詰めます。
彼は勝ち誇って言います。「おれは根っからの悪党だからな」

それはつまり、現実から希望に対する宣言であり、希望などというものに勝ち目はないという宣告です。
イヴァンは耳から血を流して昏倒します。

決着はついたように見えました。イヴァンはついに自分の胡麻化しを認め、神の庇護たる奇跡を失い、死を自覚したのです。希望は失われ、現実が勝利したように見えました。

ところが、おかしなことが起こります。信じられないような偶然と幸運によって、希望は息を吹き返します。そんな馬鹿な、と現実主義者はうろたえるかもしれません。そういうものを人々は奇跡と呼ぶのかもしれません。

* * *

アダムは根っからの悪党と自称はしていましたが、世の中の常識からかけ離れたイヴァン達と出会って、意外なほど自分が常識を知っている人間であることに気づいたのかもしれません。彼の悪は単に、常識の枠内で粋がっていただけだったことを知ったように思えます。

それを、悟りというのかもしれません。

なんだかとても不思議で、味わい深いものを見た気がします。

全編に深刻ぶったところはなく、むしろクスリと笑えるようなユーモラスな場面が多いのに、とても深みを感じました。こういう作品を、傑作と言うありふれた言い方でなく、何か別の言葉で呼びたいのですが、何といえばいいのか。

マッツ・ミケルセン、ウルリッヒ・トムセンの組み合わせ、最高に面白かったです。
監督・脚本はアナス・トマス・イェンセン。

 

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2019.11.08

「グレタ GRETA」

あの「ELLE」のイザベル・ユペールさんです。あのときに比べると少しまとも。(笑
いや、方向が違うだけでヤバさの強度は同じくらいか。もちろん役柄の、ですが。

クロエ・グレース・モレッツも、アイドルとは言いながら実は怪物の役も結構ある。作中でも、この危険な老女を意図せず挑発するかのように、自分をチューイングガムなどと言ってしまう。粘着比べでもしようというのでしょうか。危なすぎます。

では、というわけでもないだろうけれど、イザベル・ユペールさんの危ない演技がその辺りから徐々にエスカレート。演出の上手さもあって、血が凍ります。後半の監禁あたりで、軽やかにステップを踏むところがあるのだけれど、その嬉しさのあまり焦点の定まらないような足の運びとか、絶品です。狂気を足で表現するなんて!

いやー怖いですね。ほんとに怖いです。

ただ、なんというか、クロエがそれに食われてなかったのも凄い。この人の存在感というのが、何から来るのか、いまだによくわからないですが、とにかく凄い。本作では、悪人に付け込まれやすい人の好さと頼りなさを余すところなく表して、観客を思いっきりいらつかせ、じらせてくれます。また好きになってまうやないか。

その頼りなさに呼応するかのような、頼りがいのある女友達の役を演じたマイカ・モンローさん。これは狂女の毒を毒で制するあっけらかんとした曲者の都会っ子(長いw)といったような役回りなんだけど、ぴったり。よくまあこんな似合う人を連れてくるなと感心します。

そういうわけで、三人三様に一分の隙もない配役で、狂気の世界を堪能させてくれました。

クロエ、これでまだ22歳かあ。

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「ターミネーター:ニュー・フェイト」

いやーこれは凄い。T2の正統的続編という看板に偽りありません。

冒頭から一気に緊迫するシーンの連続投入、一段落して“観客を”落ち着かせて背景などをちら見せしながら、、再びヒートアップして手を緩めずにエスカレートさせていく。それが嘘っぽく見えないのは、テーマをしっかり捉えているのが要所要所で見えるから。これはファン必見です。

最初のTは機械と人間の死闘だった。そこで機械は本質的に恐ろしいもの、人間の敵とされていた。

T2は、旧式ゆえに不完全な機械の中に芽生えた何かが、人の側に味方して自己犠牲の崇高さを示しながら最新鋭の機械に打ち克つというグッとくる内容だった。その点、TとT2はかなり違う。

(一応プログラムし直したと説明されてるけど、それだけだと最後のサムアップは説明がつかないよね)

 

そして本作は。

基本的に人間だが少し強い存在が現れて一層人間性が強調される。旧式機械も助太刀して力を合わせて最先端の機械を倒す。言うことありません。

基本的に"Humanity"が"Machine"に対峙するという大きなテーマは不動不変なところが、このフランチャイズ(っていうのかな最近は)の良さ。本作はそれを忠実になぞって正統の名に恥じません。

ただ、本作では重要な変化がひとつあります。

この作品では、人間の敵である最新鋭機械が己の心情を語る場面がある。いままでこういうことはなかったはず。ひたすら指令どおりに動く不死身で不気味な自動機械だったはずが、自分の意志のようなものを持っているかのように描かれている。

TやT2が劇場公開された頃と違って、機械の現実への浸透に対する感じ方には温度差がある。そういう今現在の状況でこれをどう見たらよいのか。考えどころです。

例えば、こんな話。
「オンラインゲーム「18歳以下 平日は1日90分まで」中国政府」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191107/k10012167921000.html

まあ、気持ちはわかります。一日中ゲームばっかりやっていていいとは思いません。
でもそれが例えば、特定の宗教を信じることは禁止、とか、特定の集団を批判することは禁止、異論は認めない、とかになってくると、どうでしょうか。遊びや信仰心や批評精神は人間性と深く結びついていると思うのですが、それが禁止されるとなったら。

程度問題だけれど、知らぬうちに人間性を抑圧するような仕組みが、もし出来上がりつつあるとしたら、それはまさに"Humanity"と"Machine"の闘いの予兆と言えるでしょう。本作で敵の機械たちを「リージョン」と呼んでいるのは偶然でしょうか。

考えすぎというのは簡単です。でもお隣のあの国が着々と構築しつつあるものは、スカイネットなんてものの比じゃなく怖いです。その向こう側にいるのは、正義を気取った人間であり、便利さや効率や道徳の教化という砂糖衣を被っているので始末が悪い。

スカイネットの脅威は核戦争の形で表現されていたのが、本作では糧食の供給断とされていたのも、現実味が増しています。

本作の登場人物たちが、警察などの組織力を頼らず、あくまでも自衛を旨として武器の蓄えを怠らないのも、底流にある作り手の考えが反映していそうです。現実世界の趨勢と違っていても、頭ごなしにああいう暮らし方を否定はできないという気にはなります。テキサスだし、しょうがないよね(笑

シュワルツネッガーは今回、"I won't be back."とさりげなく言って別れを告げましたが、このフランチャイズ、タイムリープものの嚆矢だけあって、いくらでも続編を作れる構造を内包しているんですよね。今回と同様に。

何年か後に、もっと世の中の状況が進展したところで、また新たな装いで作られたTを見てみたいと、強く思いましたですはい。

 

【追記】
あーでもいろいろ思い返してみると、T4あたりで人だか機械だかよくわからんのも出てきてました・・すっかり忘れてたw

 

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2019.11.03

「ジョージア、ワインが生まれたところ」

”映画で旅する自然派ワイン”というドキュメンタリー企画の2本のうち1本。

しばらく前に、テロワールという言葉が流行ったけれど、今はあまり聞かない気がする。生産者にとっては大切なこの考え方が、大消費地の片隅に生きる”消費者”に届くころには、すっかりマネタイズされマーケティングの小道具になり果ててしまったからだろうか。

本作の舞台であるジョージアは、カスピ海と黒海の間に位置し、葡萄とワインの発祥の地とされる国。そこで独自のワイン造りに携わる人々は、ワインはアイデンティティの拠り所であるという。東西の大陸に挟まれ何度も侵略と征服を経験してきた人々が、にも関わらずジョージア人という意識を保った鍵は、ワイン造りにあったと言うのだ。

例えば日本人が仮に、米造りこそ我がアイデンティティと言ったら、ひと昔前はともかく、今はそんなことはないだろう。だから、ひとつの食べ物なり飲み物が、長い歴史を貫いて国や地域のアイデンティティだという意識は相当なことではある。この地のワイン製法は、2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されたというから、その凄さは本物だ。

古来の製法については、このサイトに多少記述がある。
http://www.dtac.jp/caucasus/georgia/news_172.php
クヴェヴリという甕を地中に埋めて葡萄を発酵させるこの手法は、紀元前8千年まで遡るというから驚きだ。四大文明より古いですけど、ほんとかな。この文章は短いけれど、映画ではもっと詳細にワイン造りの様子をたっぷり見ることができます。

一方、このサイトには、同国のワインについて通り一遍の説明がある。
http://www.dtac.jp/caucasus/georgia/entry_103.php
けれども、ここで言及されている葡萄の品種は、旧ソ連時代に強制された大量生産用の品種のようだ。映画の中では、本来のジョージアの葡萄品種の豊富さに触れており、ソ連時代に畑を取り上げられ、多くの品種が失われたものの、各家庭がそれぞれ独自の品種を残された小さな畑で守り育ててきたことで、かろうじて伝統を今に伝えることができたことが語られている。

私達がワインを消費の対象と見てしまうのは、やむを得ないことではあるけれど、彼らにとっては、ワインは歴史そのものなのだ。アイデンティティであるとはそういうことなのだろうし、金のために作っているわけではないという主張にも頷けるものがある。

とはいえ、いったん世界にその存在が知れ渡ったからには、今後、そのアイデンティティの源である手造りのスタイルをどう維持していくのか、おそらく新たな課題に直面することにもなるのではないか。

願わくは、私達消費者に短期間で踏み荒らされることなく生き続けてもらいたい。そのために、こちらは見守るだけで欲しがらないという自制が必要になるとしても。

 

【おまけ】
最後のクレジットに「Shot by iPhone6」と大きく出てました。全然わからなかったヨ!

 

 

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2019.11.01

「マチネの終わりに」

はじめは、ちょっとキザかなあと思ったのでした。このまま真っすぐ素直に行ったらつまらないなとも。ところがお話は大転回して、この苦悩と取り戻せない時間をどうするのと思って見ていると、再度転回して、これ以上はない終わり方に持っていきました。原作のすばらしさでしょうか。

未来の行動が過去の記憶を変える、という箴言が、作中何度か出てきます。それを日常のちょっとしたケースに当てはめてお話の中に繰り返し埋め込みながら、最後に箴言を大きく成就して結びます。感動的。

単なるラブストーリーにとどまらず、実りある生き方とは、を描き出してくれる作品でした。
アコースティックな音楽もたっぷり聴けて嬉しい。

因みに観客は女性がほとんどです。男は気後れせずに見に行きましょう(笑)

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「IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」

原作は、ホラー版「スタンド・バイ・ミー」なのだそうだ。だからホラー要素はそれとして、お話の方にこそ力点がある。前作はその点、とてもよかった。なるほどスタンド・バイ・ミーだと。本作は・・・残念ながらそこまでではありません。だってみんな大人になっちゃったしね。

確かに、子供の頃のいい思い出も、穴に入りたくなるような恥ずかしい思い出も、忘れていたものを全部思い出して乗り越えていくというドラマ要素はありました。普通はそういうものは、蓋をして忘れます。たぶん一生。だからこのお話の群像がそれを克服するのは、立派なストーリーではあります。

ところが、その克服の仕方が、少し曖昧だった。前作はそれぞれが怒りの力で恐怖に打ち克っていったと思うけれど、本作ではそこがよくわからない。大人は子供に比べて複雑だからそれも仕方がないとは思うけれど、何か変な呪術めいた要素とか、おしまいはたんなる気合いみたいなお話。スポコンかw

まあ、最後にピエロから、みんな立派に大人になってと褒めてもらって、よかったんじゃないですかね。仲間内から犠牲者が出たのも、大人世界のリアリティを反映しているみたいで、こんなもんじゃないでしょうか。
これでおしまいでいいと思います。

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