「マレフィセント2」
素直に言うと、すごくいい出来です。話の流れに感動します。悲劇、かと思わせてからの大逆転。このマレフィセント役はアンジェリーナ・ジョリー以外考えられないっていうくらい似合ってて、実生活でもああいう人だから説得力あるし、エル・ファニングちゃん超可愛いですし。最後にマレフィセントのドヤってる気取ったポーズと、オーロラ姫のおやおやあというニヤけなんか最高にウケます。最高の大団円です。
んで、以下は激しくネタバレです。それも悪い方の。
観る前は読まないのが吉です。
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本作のハイレベルな完成度は認めたうえで、あえて、違和感を感じた点を書き留めておこうと思います。
例の呪いの針のことです。
そもそもの諍いの発端は、この針であり、それを仕掛けたのはマレフィセント自身です。前作で彼女は、自分がかけた呪いを悔やみましたが、針自体はそのままになっていた。それが、今作では人間に悪用され、両種族の決定的な対立を引き起こす道具に使われます。悪用した人間は、最後に罰せられるのですが、作り出したマレフィセントは、進化した自らの力で、さりげなく針そのものを解呪します。まるで、無かったことのように。
この、無かったことに、という感触に、ワタクシとしては引っ掛かるわけです。へそ曲がりですから。
異なる種族、社会の間の無益な対立を解消したいというのは大多数の人の願いです。それは反論のしようがありません。けれども、直近の対立を引き起こした本人が、あれは無かったことに、という立場を取るのはどうなのかと思うわけです。おまゆう問題なのです。
本作はそこのところを、実は対立の歴史は、針が作り出される遥か以前から続いているとして、マレフィセントの直近の過ちを、大きな流れの中の些細な一つとして埋没させるかのように処理しています。また、確かにマレフィセントに過ちはあったけれども、同様に、人間の王妃の業や政治姿勢が災いを招いたともしています。むしろ話の流れでは、王妃の罪の方がはるかに重いように見えます。
まあ、そうなのかもしれません。それにしても、最後に針を消滅させるときの軽すぎる態度に、ちょっと引っ掛かるものを感じるわけです。対立と恐怖の歴史は簡単には解呪されないということに、もう少しだけ注意を払って慎重に扱った方がよかった気がするのです。
この軽率さはエピローグではっきり表れます。最後にマレフィセントが別れ際に新婚の二人をからかうジョークは、内容は微笑ましいのですが、それを言うために、キリスト教圏、それもカソリックにしか通じないことを言います。世界中のディズニーファンは、どう受け止めるでしょうか。
ひょっとすると、実はさほど気にする人はいないかもしれません。そうであれば、世界は思ったより寛容で、喜ばしいことです。
それに、こうした難しいテーマにチャレンジして世に問うディズニーの姿勢には、惜しみなく敬意を払いたいと思います。
それにしてもエル・ファニング、可愛いよなあああ。