「隣の影」
恐ろしいね。そして醜い。
これを見て、何か感じない人は、たぶん善人だ。
私は残念ながら、そうではなさそうだ。
はじめはちょっとした諍いだった。
誰かが冷静に一歩引けば、それで納まった。
あるいは、まずいタイミングで嫌なことが起きなければ、時間が解決したかもしれない。
だが、間が悪いということはあるものだ。
小さな打撃の応酬が続くうちに、少しづつエスカレートして、最後には大きなうねりとなって彼らを巻き込み呑み込んだ。
当事者2人だけの対立なら、あるいはこうはならなかったかもしれない。しかし、打撃は当人同士ではなく、むしろ斜めに打ち込まれた。家族への侮辱は本人自身よりも近親者を激昂させる。
加えて、コミュニケーション不在がある。人形を家の机に置いたことが、家族の中で一言でも話題になれば、誤解がわかり、熱は醒めたかもしれない。あるいは猫に至っては、ちょっと遠出するなどと言葉で言わないのだから、人の側で了解していなければならなかった。犬をどうするか、ちょっとでも家族に相談していれば、止める者もいただろう。
しかし、様々な背景を抱えて余裕を失っていたこの家族には、それが出来なかった。
この作品は、隣り合う家族間のトラブルを描いているのだが、もっと普遍的に、隣人どうしの間の揉め事についても多くの示唆を与えてくれる。
行き過ぎた自尊感情、排外的な姿勢、勝手な憶測、要するに自分中心すぎるものの見方。そうしたものは、今日ただいまの我々が、制御しなければならないものでもあるだろう。
もし制御に失敗したら?
映画の結末のとおりの笑えない未来を招きかねない。