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2019.07.03

「ザ・ファブル」

この狂言回しの小島というチンピラがなかなかだなと思ったら、柳楽優弥だ。「誰も知らない」のあの子でした。目力は健在。でももうちょっとなんというか、極端じゃない役もあげてほしいなあ。虚無が宿っている目だから、なかなか普通の役は難しいのかもしれないけど。

まあでも、この作品では、小島という役は重要なキーだから、演じるのが彼でよかった。

なぜ小島がキーか。

ごく最近、吉本興業というところの構成員(というしかない。雇用契約書もないらしい)の芸人さんが、反社さんとのつながりが明るみに出て謹慎処分になったというニュースがあり、それについて、興味深い論考があった。
http://wpmu.hidezumi.com/?p=13939

よく知らないのだが、どうも日本の興行界というのは、やくざさんたちとは双子の兄弟のようなものであるらしい。ところが、芸人の経済的支柱が反社から放送局に変わることで、その繋がりが変化している、それが露わになったという見立てだ。

映画の中にも、法人化・社員化する893を感じさせるシーンがところどころあって、現実の興行界の変化と微妙に輻輳する。

本作の小島は、最後の静かなクライマックスで、「俺のやり方は時代遅れなんかなあ」という言葉を口にする。それは、昭和の時代には確かに社会の一角を成していた人々が、行き場を失って絞り出す嘆きにも聞こえる。

この作品は、表向きには胸のすくアクションと、ちょっとした笑いと、ヒロインの可愛さ健気さとで進行するエンタメ映画には違いないのだが、少し視点をずらしてみると、違うものも見えてくる。

そういう風に私には見えました。

主人公たち世代よりひとつ上の親父たち世代もいい味で関わってくる。彼らは裏で動いて、功利的な能力ばかりを伸ばしてきた若者を、社会に根付く真人間に育てようとする。あるいは、もう取り返しのつかなくなってしまった毒を、容赦なく、あるいは、涙ながらに、力で排除する。その罪は黙って墓まで持っていくのだろう。
かっこよすぎるでしょ。

これ、わかっているおっさん世代が作り手に紛れ込んでいるのは間違いないのだが、そのおかげで陰影のあるいい作品に仕上がったと思います。

テレビ局は自分たちの世界の話だから、わかっていて当然かw

 

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