「愛がなんだ」
公開されてから早ひと月、人気がじわじわ広がっているらしい。見てみればなるほどと頷ける。日本の映画も捨てたもんじゃない。
微妙、と、曖昧、は、似ているようで結構違う。
曖昧は文字通りあいまいなのだけれど、微妙というのは、びみょーだけれどはっきりしているものなのだ。
この映画は、はじめはあいまいだった山田テルコの中の何か、好き、とかが、もっと微妙だけれどはっきりしている何かとして自覚されていくのを描いている。ように見えた。
その何か、というのに当てはまる言葉を思いつかない。
題名自体、愛がなんだ、と言っているように、たぶん愛とかいうものではない。宣伝文句は、恋、だと言っている。宣伝だから仕方がない。
執着という台詞が作中にも出てきているが、そうなんだろうか。
テルコにとって、田中マモルは、自分というものの一部になったのかもしれない。恋が叶わないとわかったときに、普通、人はそれを思い出として仕舞い込む。あるいは忘れる、あるいは成就につなげる行動を起こす。はたまた、破滅的な行動に出てとにかく終わらせようとする。
作中では、テルコの周囲の人たちがそれぞれの選択を見せる。しかしテルコはそのどれも選ばない。
微妙な感じがあって、それがそのまま固定化していくような、むずがゆい感触が残った。
そういうこともあるのかもしれない。ないかもしれないがあるかもしれないものを、巧みな話の運びとともに見せてくれる点で、この作品は秀作です。