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2019.04.14

「魂のゆくえ」

イーサン・ホークが深刻な顔でにらみつけてくるほどに胃がきりきり痛む。
そういう問題作。
見終わったあと昼飯にパスタ大盛食べたら胃は落ち着きましたが。

環境問題は、割と典型的な程度問題だと思うので、環境活動家さんたちの中の過激な要素にはあまり同調したくない。私が着ている服とか食べものとかは、ものすごい環境負荷をかけて生み出されているのですから。先進国の人間なら猶更です。

さりとて、この問題で真剣に悩む牧師に向かって、神がそう言ったのか?などと詰問する傲慢な企業経営者のようにもなりたくない。みんな環境負荷の罪には気付いているけれど、世の中の仕組みの中で生きている以上は、簡単に軌道修正できるものでないことを知っているからです。かの経営者のような狡猾な開き直りは卑しいと言うしかありません。

悩ましいです。

イーサン・ホーク演じるこの生真面目な牧師も、同じように悩んでいて、そこがまあ刺さるわけです。ちょっと過激すぎる行動に出ようとして見る方をはらはらさせるわけです。あるいは、ギョロ目のアマンダ演じる若い寡婦と不思議な体験をしたりうらやましいわけです。

といろいろ見せ場があって、結局、結論は出ないままで終わります。それでよかったと思います。

* * *

この作品の中で、これは!と思う点がひとつあります。

牧師の体調や身の回りを心配する女性が出てきて、たぶん離婚した元妻だろうと思うのですが、この人が、寡婦と対置されているのです。

牧師は、彼の体調を案じる元妻に向かって、「躓きの石」という酷い言葉を投げつけます。彼はこの女性を、世の中の欺瞞の象徴と捉えている。普通に元夫を心配しているだけなのに。可哀そうな元妻。でも彼の信仰から来る嗅覚はおそらく正しいでしょう。

それに対して、自死した若者が縁を取り持った若い寡婦は、彼にとって真の救いです。彼女は彼を心配するのではなく、彼に助力を求めている。そしてただ一緒に居たいと言っている。

まるで、地球という環境と、そこで生きる我々人類との関係を暗示しているかのようです。環境は、ほんの少しの助力を求めている。そして、ただ一緒に居たいと言っている。いやもちろん、それは人類の側の勝手な擬人化にすぎないのですが、でもそういう風に読み取ると、環境問題への向き合い方が少しわかるような気がしてきます。

イーサン・ホーク、相変わらずの渋い演技で、いい映画でした。

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