「ミスター・ガラス」
「アンブレイカブル」、「スプリット」と、どうもよく呑み込めないまま来た、完結編たる「ミスター・ガラス」。
・・そういうお話だったの。
シャマランの作品には、巧妙な風刺がいつもあると思うのです。
例えば、「ヴィジット」は一見ホラー仕立てだけれど、その実、高齢者のボケとか徘徊とかを強烈に風刺して、ほとんど怖い中にコメディ味を滲ませたりしている(と私は思っている)のですが、本作にも、そういう巧みな風刺がありそうです。
人は埋もれた才能をずいぶん押し殺して生きています。それがうっかり花開いたりすると都合の悪い人たちがいて、日頃からそういう人達に抑圧され、洗脳されて、誰もがごく平凡な人間にすぎないと思い込まされていて、挑戦の芽を摘まれているのです。インボーです。彼らはあなたの隠れた能力を闇から闇に葬ろうとしています。負けてはなりません。
ほらほらそういわれると、風刺に思えてくるでしょ?
それにしても、それを言うためにこの三部作を長々とやってきたのかと思うと・・そしてそれにまた付き合わされたと思うと、「またしても、やられた」感が募るわけです。
どの作品も、風刺に妙に実感がある気がするのですが、もしかすると、監督の原体験なんでしょうかね。
ブルース・ウィリスも、ジェームズ・マカボイも、そしてもちろん、サミュエル・L・ジャクソンも、お疲れさまでございました。