「バンクシーを盗んだ男」
「バンクシーを盗んだ男」
http://banksy-movie.jp/
ものの見方の多様性を壊さず平等に見せてくれる、割といい作品。
もちろん正解はない。
wikipediaを見ると、このバンクシーという人は筋金入りだ。よくまあ叩きのめされないなというくらい。まあ、作品を嫌う人はいても、憎む人はいないということなのだろう。
彼の作品が切っ掛けになって、人々の想念が様々に励起されていく。どの登場人物も、自分が信じるもの、属するものの立場から、考えを述べ、あるいは行動を起こし、その結果について弁明する。バンクシー自身は作中に登場しないが、大きな影響を及ぼしていることがわかる。それこそが本物のアートの証だろう。
建築物と一体的に作られた芸術作品には、ここに登場するストリートアートと共通する悩みがある。建物が取り壊される際に、ときには保存運動が起こり、小数のものは元のコンテクストから切り離されて解説文とともにどこか別のところに飾られることもある。しかし大多数の作品は、壊されてゴミに還る。
そうした作品たちは、保存のコストと現在価値とを秤にかけて、運命が決まっていくのだ。ストリートアートにおいては、私的なオークションや公共の美術館などに仕組み化されており、本作にもその仕組みが描かれている。否定でも肯定でもなく、そうしたものがあるということが映し出されていく。
そうした仕組みにおいては、パトロンの存在が重要だ。極端な例だが、システィーナ礼拝堂の天井画を思い浮かべれば、芸術の保存とパトロンの存在とは不可分だということはすぐわかる。
ストリート・アートといものは、そうした仕組み=芸術的でないもの、に対する挑戦でもあるかもしれない。この作品を見ていると、そうも思えてくる。
保存という点で、我々日本人が想起しておくべきこととして、式年遷宮がある。これは保存の対象を、具体的なものではなく、様式と建造(制作)手法としていて、唯物論的なものの見方と対極を成している。
それでどうだというものでもないのだが、見落とせないことだろうと思う。ストリートアートというものは、案外、物質の儚さと観念の永続性を表現しようとするスタイルなのかもしれない。
いろいろな考えが頭をよぎって、面白い映画でした。