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August 2018

2018.08.19

「2重螺旋の恋人」

フランソワ・オゾンの久しぶりの作品。相変わらず構成的によくできていて、隙がないというか。おフランスの映画ですから、エロとかもう一歩踏み込んで今回変態的なしーんなどもあります。「17歳」のマリーヌ・ヴァクトさんなら難なく演じてしまいますが、まあすんごい。子供には見せられません。

でもそういうお下品な興味以上に、本作でそそられるのは、愛ってなんだろうという点です。特に、見た目と中身との関係はどうなんだろう、とか表向きの綺麗なところと、それと表裏一体の剥き出しの○○とかそういったあたりの関係はどうなんだろうとか、みたいな話です。双子をうまく使って、その問題に深く深~く迫ります。

単にその間の関係を描くだけでなく、同時に弱肉強食の人の業みたいな話まで絡めて、見ている方は結構引き回されて疲れます。

こんなややこしい事を扱っていながら、まったく破綻の予感すらさせない話の運び、やっぱりこの監督は凄いの一言です。ま、ピストル撃っちゃった結果についてはスルーしているのは、日本人的な感覚とは少し違いますかね。でも特に違和感はないですが。

すべてが収まってハッピーエンドなのかと思ったら、最後のシーン。強烈過ぎるでしょう。やっぱり人は自らの業から逃れることはできなんでしょうか。

もう勘弁してほしい、お腹一杯になる作品でした。

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2018.08.18

「秒速5センチメートル」+「詩季織々」

秒速5センチメンタル!
いいなあ。こういうおセンチな映画好きですわ。

すれ違い、行き違いで、本当は好きあっている二人の軌跡が離れていってしまう切なさ。取り返しのつかない後悔。

10年前の「秒速・・」の方は、すれ違ったままでほんのり苦い味わいだけど、それにインスパイアされて中国の監督さんが作った「詩季織々」の方は、最後に再開の喜びが待っている。これもいいなあ。

上映後に、監督の易さんと日本側の制作会社代表の川口さんの対談があって、二度おいしかった。

中国における衣食住交の話とか、上海での石庫門のブランドイメージとか、そこのネイティブな住民と引っ越してきた新住民との区別とか、日本人の目で映画を見ただけでは気が付かない話があって、とてもよかった。

なんだか、まさに彼らはいま、我々の昭和高度成長と似たような軌跡を辿って、その終盤に来ているんだなあ、ということがじんわり伝わってきました。
そして、その規模の違いも。

いろいろ、政治的なやり口をメディアを通じて聞かされると、中国嫌いになりそうだけど、こうして普通の中国の人の話を聞いて、その作品や仕事を見る機会が多くなれば、また違った印象になっていくだろうな。
そうありたい。

とても有意義な作品でした。

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2018.08.11

「オーシャンズ8」

いやーゴージャスやな。
眼福です。

Wiredが斜に構えて、男性版オーシャンズとの比較みたいなことを言っているけど、見当違いもはなはだしい。
ttps://wired.jp /2018/08/10/oceans-8/
この女性7人プラス1(笑)の特質をまったく見ていない。

男性キャスト中心の映画で、この華やかさが出せますかと。
ちょっとした不自然さに対しては男より女の方が敏感、という特質を、こんな風にサプライズに結び付けて生かせますかと。そこはこの映画の骨格にもかかわる重要な点なんですからね。

そういう味わいを見に行く映画、というポイントさえ外さなければ、とっても楽しめます。

作品中でも、アン・ハサウェイの台詞の中で、ディテールに輝きが宿るような、てなことが埋め込まれていて、男性中心の映画の世界にありがちな批判は、すでに予見され、先回りして皮肉られている、というおまけまで付いてる(笑)。すばらしい。


クライムムービーとしては軽めだけど、そういうのはそれこそしかつめらしいマッチョな映画を見ればいい。

観客の方も、こういうテイストに自然に価値を認めるようになっていけばいいんじゃないかな。

あそうそう、先週見たばかりのバンクシーが出てきて、しかも洒落た使われ方をしていて、ニヤリとしました。

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2018.08.05

「バンクシーを盗んだ男」

「バンクシーを盗んだ男」
http://banksy-movie.jp/

ものの見方の多様性を壊さず平等に見せてくれる、割といい作品。
もちろん正解はない。

wikipediaを見ると、このバンクシーという人は筋金入りだ。よくまあ叩きのめされないなというくらい。まあ、作品を嫌う人はいても、憎む人はいないということなのだろう。

彼の作品が切っ掛けになって、人々の想念が様々に励起されていく。どの登場人物も、自分が信じるもの、属するものの立場から、考えを述べ、あるいは行動を起こし、その結果について弁明する。バンクシー自身は作中に登場しないが、大きな影響を及ぼしていることがわかる。それこそが本物のアートの証だろう。

建築物と一体的に作られた芸術作品には、ここに登場するストリートアートと共通する悩みがある。建物が取り壊される際に、ときには保存運動が起こり、小数のものは元のコンテクストから切り離されて解説文とともにどこか別のところに飾られることもある。しかし大多数の作品は、壊されてゴミに還る。

そうした作品たちは、保存のコストと現在価値とを秤にかけて、運命が決まっていくのだ。ストリートアートにおいては、私的なオークションや公共の美術館などに仕組み化されており、本作にもその仕組みが描かれている。否定でも肯定でもなく、そうしたものがあるということが映し出されていく。

そうした仕組みにおいては、パトロンの存在が重要だ。極端な例だが、システィーナ礼拝堂の天井画を思い浮かべれば、芸術の保存とパトロンの存在とは不可分だということはすぐわかる。

ストリート・アートといものは、そうした仕組み=芸術的でないもの、に対する挑戦でもあるかもしれない。この作品を見ていると、そうも思えてくる。

保存という点で、我々日本人が想起しておくべきこととして、式年遷宮がある。これは保存の対象を、具体的なものではなく、様式と建造(制作)手法としていて、唯物論的なものの見方と対極を成している。

それでどうだというものでもないのだが、見落とせないことだろうと思う。ストリートアートというものは、案外、物質の儚さと観念の永続性を表現しようとするスタイルなのかもしれない。

いろいろな考えが頭をよぎって、面白い映画でした。

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2018.08.01

「インクレディブル・ファミリー 」

これがまためっちゃ面白くて。
なんて軽快なノリ、絶妙なペース配分なんでしょ。
そして随所に見える様々な種類のギャップ。それが笑いの源です。

ストーリーはまあ、あるかないかくらいだけど、家族の日常とスーパーパワーのギャップが、入れ替わり立ち替わり現れて、面白おかしいです。父ちゃんのボケかたがうまい。基本的に素直で善人なのがこの家族のいいところなんだよね。

スーパーパワーの方は、父ちゃんのMr.インクレディブルが文字通りの縁の下の力持ちなのに対して、母ちゃんのエラスティガールは華麗で伸縮自在なアクションが売り。

この夫婦コンビはもちろん最高だけど、今回はエラスティガールの一人舞台も盛りだくさん。そんなのありかー!っていう極限の曲芸を、すばらしい視点移動と共に見せてくれます。やっぱり女は派手な方が見ていて面白いよねー。見るだけならねー。

それでいて、子供の躾に関しては、普通の母親と同じく口やかましい中にも優しさが見えるナイスなママなんであります。

昔とった杵柄とばかりに特製のハイパワーバイクをぶっ飛ばす姿と、子供たちに優しく接する姿のギャップがいいですな。これはちょっと旦那目線の勝手な理想像なんですかねー。

新しいキャラクタとして、赤ん坊のジャック・ジャックが前作の終わりから引き続き登場。なんだかものすごい能力を秘めているようなんだけど、今回はまだ活躍はおあずけ。一番肝心なところでさりげなくお話の転換点を作ったら、あとはほっこりとお笑い方面でがんばります。無敵の余裕でしょうか。

次男坊のダッシュは、今回はスーパーヒーローとしては出番なし。男の子と父親とのつながりを見せてくれる役回りです。

長女のヴァイオレットも同様だけど、女の子と父親の絆というのは、格別なものがありますね。

さて、こう見てくると、今回、エラスティガールの大活躍の影に隠れていたかのようなMrインクレディブルの存在の大きさというか、欠かせなさがじわりと心に沁みてきます。それですよね。本作が単なるSF娯楽アクションに留まらず、もう少し質の高い作品になっている理由は。

見ていてほんとにいい家族だなあと思わせる、インクレディブルなファミリーでした。

次も楽しみ。

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