「BPM ビート・パー・ミニット」
ゲイの映画は苦手です。よく理解できないから。
でもこの作品は、ゲイとエイズを描きながら、その枠を超えて訴えるものがあります。
以下、作品同様とりとめもなく。
物語の中心にいるのは、偏見にさらされる少数者の群像。彼らは、社会的弱者の主張を世の中に認めさせるには、黙っていてはだめで、行動しなければならないと考えています。いわゆるアクティビスト。
我々普通の人々は、日常の中で、そういう少数者に意識するしないを問わず偏見を抱いています。「だってあいつら変だよね」「そんな過激な行動をとるなんて非常識だよね」
TVでデモなどを眺めて、迷惑な奴らだなとつい思ってしまいがちな普通の我々です。
確かに彼らは私たちとは違うところがあるのですが、それでも生きている人間の一人一人に違いはありません。そのうえ、この作品の特徴ですが、エイズ患者は死の淵に向かって刻々と追いやられている人たちなのです。そこが、少数者という言葉だけで単純に括れないところであり、この作品に、ゲイの生態を描くという枠を超えて力を与えているところです。
作品は当初、そんな深刻さを見せずに、彼らアクティビスト達の生き生きした活動ぶりを描いています。ノリがよい。
毎週開かれる集会では、言葉に強さがあり、議論に節度があり、知恵あるまともな人たちに見えます。そこがこの作品のうまいところで、多少の行動の過激さを十分に正当化しています。日本のアクティビストさんたちも、少し見習うところはあるんじゃないか。
そんな彼らも、自分の健康が日々損なわれていっていることを冷酷な数値で、あるいは症状の悪化で示され、時折冷静さを失います。誰だって死の恐怖からは逃れられません。
ひとり、そしてまたひとり。昨日まで生き生きと議論し活動していた友達が、徐々に生気を失い亡くなっていきます。それが何かを強化したかというと、そうは見えないのが、この作品の現実味を支えています。
誰かが亡くなっても、昨日と同じように、明日もまた抗議活動は続いていく。何かが劇的に変わるという感じはありません。まるで、人の命が少しづつ炉にくべられて、彼らの継続的な活動の熱源になっているかのようです。爆発はしないけれど、沈静化もしない。
現実味という点でもうひとつ。本作では、彼らがどうやって生活の糧を得ているのかについても、手短に答えています。そういう描写を省かないところも評価できます。
後半、彼らの主要メンバーが徐々に弱っていくのを看取るフェーズは、少し長すぎる気もしますが、それも現実の一側面なのでしょう。賞をとるだけの価値はなるほどあるかなと思った一本でした。