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September 2017

2017.09.23

「スイス・アーミー・マン」

これ、不思議な映画。

お話はバカバカしいし、全部引きこもりさんの妄想ということにもできるけど、そうしなくてもいい。

なんだか生き生きしていて、発想も豊かで、落ち込んだり盛り上がったり、人を突き動かす力って案外単純てことを隠してなくて。うん。いい映画。

その生き生きしたところを、死体とヒッキーの凸凹コンビに演じさせているのが、腹がよじれるほど可笑しくて、ちょっと涙でちゃいました。

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2017.09.15

「エイリアン: コヴェナント」

うーん。
まあ、エイリアンでした。というしか。
大袈裟にパニックしてるパートとか白けます。

最初見たときはあまりにショッキングだったので、却ってその型から外れるのが難しくなったかもしれない。それでも2、3、4あたりは、評価はともかく、考えて工夫して世に問うてきた感じがあった。

それに比べるとプロメテウス3部作は、1を型どおりに踏襲して、つまり便利な鋳型として使っておいて、それと違うレイヤに話の筋を置いている。いわく、人類の起源とか。

それってどうなんでしょ。

人類の起源という困難なテーマを扱うにあたって、エイリアンという素材が必須なのかどうか、いまださっぱり見えない。

何か作り手が勘違いしていなければいいのだけど。

次は「プロメテウス」と「コヴェナント」の間をつなぐ話だそうで、その手掛かりも本作にはいくつも撒かれている。たしかにピーの腑分けとかは、ひょっとすると人類の起源に直結しそうな予感もする。

三部作のキーとなるはずの次回最終作に望みをつなぐしかありません。

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2017.09.10

「ダンケルク」

http://wwws.warnerbros.co.jp/dunkirk/

これでもかという感じで作り込んできたクリストファー・ノーランの映像を見る映画。ある種の本物感が感じられて、歴史的事実を疑似体験するにはいい作品なのではないか。

少し話は逸れるけれど、20世紀的な戦場の酷さの描写という点では「プライベート・ライアン」の冒頭に勝るものはない。なにしろ、上陸用舟艇の扉が開いたとたんに正面から機銃掃射を受けて小さな船に詰め込まれた兵隊はただの肉布団として死ぬだけ、なのだ。家畜の屠殺と同じ。
せいぜいが、相手の弾薬を費消させる程度だから、まあ一種の消耗品だ。

だから戦争だとか国防だとかについて勇ましいことや美談を言う人には気を付けた方がいい。


幸いというべきか、本作はそういうものとは違って、大袈裟な身振りのドラマはほぼ無し。反戦でもなく国威発揚でもなく英雄賛歌でもない、ただただ、こういうことがたぶん起きる、実際に起きた、と思わせることを描いてみせている。30万人の撤退という規模感はさすがに出せなかったが、このくらいがまあ限界でしょうか。

でも、この作品の価値は、それとは違うところにあった。
どういうことか。


最後に、穏やかに滑空するスピットファイアが、とても美しかった。

あの美しい滑空は、そこまでの話の展開と、間の取り方があってこそ。それに加えて絵の質感。

2時間に渡って淡々と描かれてきた醜さや悲しさ、苦悩や葛藤、気高さ、人としてあたりまえの規範、それらがないまぜになって、この最後の静かなシーンに凝縮され、昇華されているようだ。

この映画はたぶん、微かなメッセージを一度織り込んだあと、それを洗い落として仕上げた、芸術作品なのかもしれない。

まさに映画は総合芸術ということが顕わになった、貴重な体験でした。

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2017.09.09

「三度目の殺人」

殺人事件の謎解きと、話の展開に従って少しづつ明らかになる人間模様に興味を持って見ているうちに、見る側は作り手の罠にはまって混迷を深めていく。この筋書から、いろいろなことを読み取ることはできる。
親子の世代間断絶であったり、司法というシステムの欺瞞であったり、産業の裏側の闇であったり、DVであったり。それぞれに反応する人はいるだろう。

それだけなら普通の仕上がりで、もちろん渋い色調の映像ともマッチして上出来なのだが、最後に、弁護士と犯人との対話の中で、地に着いた話の筋とは異なる次元の、あるものが浮かび上がる。

犯人は、自分は居るだけで周囲の人間を傷つけてしまうのだと言う。
弁護士は、あなたは器に過ぎないということかと問う。


なるほど、そういう人は確かにいる。
現実の世界で主体的に行動することはせず、しかし物事を見る目は曇りなく、見たものを正しく言葉にでき、そして悪意はない。

言葉の正しさと、悪意のなさが、意図せずに周囲の人間の心の奥底を表に引き出してしまう、そういう何か。神話の世界なら、それは神の目のような形で具象化されているだろう。

もしそこに、多少の心根の温かさがあれば、それはそれでひとつの美質だと言えるのだが、この犯人の場合はそうではない。

そこに悪意はないが、恐ろしいことに、善意もまたないのだ。
器に過ぎない、とはそういう意味だろう。

そうした器に触れた人間は、自分の願望を、それと気づかず相手の支援や配慮だと錯覚する。そこに映っているのは、自分に同意してくれる犯人の笑顔のように見えて、実はそうではない。そこにあるのは自分の鏡像だ。

自分という存在を正確に冷酷に写し出す鏡。これほど危険なものはなかなかない。

おっかないねえ。


んで、三度目は何だったんだろう。

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2017.09.03

「機動戦士ガンダム THE ORIGIN 激突 ルウム会戦」

ルウム会戦というより、どちらかというとコロニー落としの回と言った方がわかりやすい。それにしては全体に描写がおざなり。

このシリーズは、最初の回を見た後はスルーしていたのだが、たまには見ておこうかと思ってみるとやっぱりいまいち。

なぜあんなに全員絶叫熱唱し続けなければならないのか。
なぜあんなに台詞が浮世離れしているのか。

邦画の悪いところと昭和オタクの悪いところを折り詰め弁当に仕立てたおっさん達の自己満足風の味がした。リアリティのかけらも無い。

もしかすると作り手は、CGを使ってメカの表面をつやつやに描いたからリアルだと勘違いしているのじゃないか。

良い部分もあるはずなのに、悪い部分にたっぷり時間と予算をとられて、良さは削られてしまったのだろうか。

なんだかとっても残念感溢れるシリーズ。たぶんもう見ないと思う。

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2017.09.02

「ELLE」

映画の広告では、変態とか何とか煽り中心になっていて、この作品の価値を正面から見ていない。しかし、直接作品を見てみると、これはオンナという生き物をかなり正しく描いているように見える。特にその図太さと現実主義を。

話の行間を読めば、この主人公の女は確かに変態で淫乱なのかもしれない。敬虔なクリスチャンだったはずの父親がなぜ突然大量殺人を犯すに至ったのか、あるいはなぜ、彼女が刑務所へ面会に来ると知って首を括ったのか。その理由は最後までまったく触れられず語られないが、巧みに埋め込まれたいくつかのシーンから、微妙に察しはつく。

けれども、日常感覚では不徳とされるものを内に持ち、時折発露させることもありながら、それに支配されるでもなく、表の性格と内のそれとがひとつの人格として共存しているように見える。

これを包容力と言ってしまうと、それも違う。上位の高潔な人格が包み込んで表面化しないようにしているわけではないのだ。ただあたりまえに共存している。

図太い、と言い表すのがしっくりくる。ほかの女たちも似たり寄ったりかもしれない。母親は言うに及ばず。親友も、そして隣家の妻も。

とりわけ、この隣家の妻には、最後に驚かされた。彼女は夫の性癖をおそらく知っていたのだろう。そんなことはおくびにも出さないが。そして、主人公に、別れ際に礼を言うのだ。その態度は間違いなく、主人公の性癖をも知っていて、そして現実として受け入れている。

特に騒ぎもせず、嫌悪もなく。
自分には信仰がある、というのが彼女の支えだ。
このセンスを驚かずにいられようか。

そんなこんなで、たぶん年月が経ってもこの感覚を時折思い出すだろう、今年の私的ベスト5に入ること間違いなしの作品でした。

追記
公式サイトのコメント
http://gaga.ne.jp/elle/comment.html
を読むと、さらに味わいが深まります。

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